AKBINGO!EP486 はじめての推し変♪
こんな見事にタイトルに沿ってくれる2ショットもあるかねしかし。。。
テレビの次回予告でWAKU WAKUしたのって久しぶりな気がする…
前回AKBINGO!「昭和のアイドルソングDEダンスバトルロワイヤル!」の後編だ!
次回予告に現在絶賛推しメン中の首輪系アイドル濱ちゃんこと「濱咲友菜」がチラっと出ていたので、おお~これは次回が楽しみだぁ♪
なんてWAKU WAKUしちゃってたよね~
テレビの次回予告でワクワクするのは去年の秋ごろのイッテQの「ウッチャンとイモトが組んでカレンダー企画に挑戦」のアレ以来だろうか…ソレは次週じゃなくて結構引っ張っててイライラした記憶がある…
そんな話はどーでもいいけど推しメン濱ちゃん…
の前に、SKEの審査で魅せた野球オタの子のセリフ場面
「個性が強いから全体で合わせる時、弱い…」
と言われて一言
(審査の基準や思い方は)人それぞれ、好み!
これだよ!
こーゆーことだよ!
それでいいんだよ!
笑いを常に心と頭に意識している!
からこそ繰り出せるこの姿勢!
が繰り出すダンスパフォーマンスだったということだ。
こーゆー向きに向けてることの重要性に気付いて、実践できるようにならないと、歌でもダンスでも何でも上への高み、見る目の肥えたヲタらの言う「所謂成長」には繋がらない。
学校の勉強で成績で競い合ってる成長ではない、ユーモアから繰り出す「魅せ」で戦っているんだって、早く気付けて実践できている人ほど、強いんだよね。
そりゃあ部活のレベルでも日常生活のレベルでも何だって、食器洗いや風呂掃除、洗濯ひとつとってみたって「上手に熟せるようになる小馴れ現象」なんてことは起こるわけで、そこをみて「上手くなった、上手くなった」って褒めたって仕方ないわけで、むしろその先に広がる広大な世界へたどり着くには「ユーモア、面白を繰り出せる頭と向き」が必要になってくる。
後の開花からの未来予想で「この子は…」って見抜きも、その視点から見てみると面白かったりもする。
特に日本人は頭の固いクソ真面目にまみれているのでそれを持つ持たないでくっきりはっきり明暗は分かれる。
長くなる前に前置きをセーブして…
濱ちゃんいってみよ~~~!
今までは、ハロプロでもAKBでも何を観るのだって所詮は「いちタレント」が画面の向こうで何か勝手にやってるのを観ているだけに過ぎなかったけど…
推しメンが出て挑んでいるのを観るのって、不思議な気持ちになるものだ!
「頑張れ!」って、テレビの前で拳握りしめて応援したくなる気持ちにもなる。
頑張るのはダンスなんかじゃない…
「首輪」って言えるかどうかだ!
この駄馬がぁ!
ダメだ…
ぜんっぜん、ダメ。。。
ナゼなんだ…
なぜ、首輪を入れ込まないんだ。。。
チャンスは山とあったはずだ…
「凄い緊張してるね?大丈夫なの?」
「あのー緊張で震えが止まらないから、『首輪、付ける?』って言って貰っていいですか?」
「なんでやねん!。。」
「首輪つけられると、心が落ち着くんです」
「早く、言ってもらっていいですか?」
「もぉ~。…首輪、付けるか?」
「今日はやめとく~♪」
「オイ!」
「もっかい、いいですか?」
「なんやねんなもぉ~」
「早く、言ってもらっていいですか?」
「…首輪、付けるか?」
「マリオネット言~とるやないかぁーい!」
「…」
「あんな?濱ちゃん?みんな真剣なんやぞ?」
「はい…」
「さっきからヘラヘラしやがって~濱ちゃん、真面目にやれよ。」
「はいすみません…」
「フィッシュボーイさんめっちゃ怖い顔で睨んどるで?」
「ボーイさん首輪付けて~~~♡♡♡♡♡」
「バカヤロウ(笑)」
「首輪付けとくから、あなたの竿で、釣り上げてぇぇぇ♡」
「バ カ ヤ ロ ウ(笑)」
だっていいし、
「濱ちゃんがダンス上手いイメージが無い」
「リードされるのは得意なんですけどね(笑)」
だっていいし、
「濱ちゃんがリーダーシップで引っ張ってくれた」
「首輪、付けてないけどね」
だっていいし、
「濱ちゃんがダンス踊ってる想像つかない」
「首輪も付いてないし」
「しつこいな!もういいよ!」
『…ありがとうございました~』
チャンスはいくらでもあったのに…なんで ?
ゴールはガラ空きなんだ
シュートを、叩き込めよ…
なんでガラ空きなのに、パスパスパスって…
こーゆーところが日本人の弱いとされてる欠点だよね
すぐパス、すぐにパスパスパス。
そうじゃなくって自分でシュートをうつんだよ!
あるいは本当は首輪、あれは嘘だったの?
ねえ?濱や?
必要なのは見栄えじゃない、首輪なんだ…
このグループだけボロクソに言われてたね…
首輪って、言わなかったことに、怒ってるんだよ…きっと
偉いもんで推しメン推しメン♪とかふざけてたけど、目に映るズーム感からこの子に感情移入しちゃってて、濱ちゃんの涙を見て思わず泣きそうになってしまう。。
次回あるとすれば、ここで挫けないで首輪を付けてまた挑戦してもらいたいものだ。
真面目な話、前回ここの下の方でロボットとの違いについて書いたけど、人が人のを見て楽しむって、何やねん?って「魅せる」そこを考えていないといけないわけで、スタート地点(向き → 練習時に帯びる属性、身に付けようと意気込んでいる姿勢 → 向き)が既に違っていると、なかなかそこにたどり着けないで苦労するものだ。
たとえば「子供の頃のお皿洗い」ひとつを取って見ても
普通に洗っていては、「実は全然洗えていない」ことになかなか気づけない。
泡を塗りたくって洗ったつもりで、過ぎ去るものだ。
水で泡を流すときも、皿の下(裏)まできっちり流せていなかったりもするその皿を、食器置きに重ねていけばどうなるのか…
そこで母親が「洗えてない」「ここがダメ」「それがダメ」と指摘して視野が広がった時、「皿洗いに対する見る目と向き」がガラリと変わる。
いままで単に洗いを熟すレベルだったのが、様々な要素が見えてきて、より上手に綺麗に華麗に上手く効率よく洗えるように進化していく。
こーするといいという「知識、情報量」と、こーしたら面白そうという「想像力、ユーモア」を以って頭と遊び心から進化させていく。
所詮は総じて元猿の如き人間が、何かを上手に熟すって、そーゆーことなんだよね…
奥が深いなぁ…
と、何でも物事に対して感嘆できる人ほど、その辺の遊びと進化は強いんじゃないかなぁと個人的には思う。
真面目でひた向きで素直で礼儀正しくて何事にも一生懸命で、「言われたこと、教わったことをしっかりやる」っていうのも、とても素晴らしいんだけど
芸能界という才能ひしめき合う世界では「スタート地点(向き)」がすごく大切になる…
悪ふざけ、ではもちろん違うけど、極端な話、それでもいいかもしれない。
観る者が、想像掻き立てられて内面抉りに行かせる「動機」みたいなモノ・要素を入れ込むこと。
それを入れ込むように仕向ける動機・力、ってやっぱりユーモアという名の「悪ふざけ的なノリ」かもしれない。
言葉的には全然、適切ではないけどね。
そーゆーノリを持った向きにいると、スタート地点から違ってくるし、組み立てていく中で「オリジナリティ」とか「自分らしさ」とか「面白み」が、自然と、入れ込まれて組み込まれて、楽し気に作られていくものだ。
「与えられたものをこなしているだけ」
自分はどの部分がどうなのかはさっぱりだけど、内面抉りに行けれる「そこ!今のそれ!そこオモロイ!!」って部分が、切なくも一つも見えてこなかったんだよね…
スポンジに、JOYぶっかけて、ただ洗ってるっていう世界観
ではなくって、悪ふざけ的なノリから繰り出される「そんなこと!?」って見入っちゃう洗い、遊び心の感じられる抉り取らせる洗いが観たい。
そりゃあ、ヲタら特有の「良かった探し」から無理やり骨の髄までしゃぶりつくしてまさにさんま御殿に出演した際の入山杏奈の時みたいに強引に「あれが良かったね!」って、楽しむことはできるけど、そうじゃなくって、キミたちがやって魅せてよね!
って…。
だから濱ちゃんのマリオネット?
あれもそれ自体はすごく面白いものなのだから、もっともっと、正解とかない世界だし、ましてたかがド深夜の虫けらみたいなバラエティ番組なのだから失敗なんて恐れずにもっともっと、ユーモアという名の悪ふざけ的なノリを入れ込んで試みや精度を高める挑みを弾け繰り出して欲しかった…(別の子で)ムーンウォークのところなんて特にそれを強く感じたかな…。
マイケルジャクソンを借りるのだからそれはもう盛大に遊ばなきゃ意味がない。
だからこの辺が日本人の悪いところでもあり(裏を返せば良いにあたるが)、「クソ真面目」で「緊張しい」の「堅物」だから、欧米とくにアメリカの彼ら彼女らと比較してわかりやすいくらいに差が出てしまうところだろう…
遊び心が無いもんだから表情も、たとえば笑顔になるところ
「ここはみんなで笑って魅せよう!」
っていうあらかじめ決められたことをただ実行している寒さを感じてしまった。
田舎の子のピースじゃねーんだから。。
笑いでもしゃべりでもあるじゃない?
これはオモロイ、これは絶対オモロイで、バカウケやでぇ~
って自信のあるものほど意識しすぎてて狙いすぎて逆にウケないって。
自然発生的に流れを汲んで放り込めてない不自然さほど観心地の悪いものは無い。
や~れやれ
濱ちゃん、首輪を付けるところからまた出直そう。
最後のコメントも全然つまらないし。
「すごい楽しかった」
って、そ~じゃないんだよ
ダメだこりゃ。。。
イチからやり直しだ
首輪を付けて再出発しよう
精一杯、ちゃんと忍し推すからさ…
と、思ったその時!?
この子に推し変する!