AKB48×ハロプロ 現代アイドル読解学

今をときめくアイドル達の輝きとそれらを取り巻くヲタらの生態を研究・観察していきま~す。

【夢の共演をありがとう!】イモト×安室奈美恵の最初で最後のイッテQ対談

大騒ぎに便乗するわけでもないけれど、やっぱり感動したよね~

「いいともフィナーレ」でも表現された芯で、テレビってやっぱりああいう面白味が時として抉り出されるものですね…

程度の低いチューバーやら素人作品が盛大に台頭してきてしまってテレビの表現力が無下にされてはいるものの、「やっぱテレビってエエわぁ…」という感動だよね、あれはまさに。

それはその部分だけ切り抜いて観て「見たつもり」「見れた気分」のものと、イモトと安室の遊びをずっと見てきて、かーらーのアレとで見え方や感じ方が違ってくるのは言うまでもない。

(現代病なのかもしれない特に表舞台に立つ身のタレントやなんやの)イモトが結構、しきりに、「安室ちゃんのファンたちは優しい」「自分(イモト)が安室ちゃんネタにして(視聴率めちゃめちゃいい)番組でふざけてるけど、安室ちゃんのファンはすごく優しい目で見てくれてる」

これがでも結果またいいよね(笑)

アイドルの病的ヲタらと比較して一目瞭然の違いが面白いのだ。

出せばきりがないけど「荻野由佳×堀未央奈のくだり」なんかでも、いちいちいちいち邪魔臭い愚民らしさを醸し出さんと、あたたかい目で「いいね!いいね!オモロイね!」って楽し気であれば良いのだよって。

安室奈美恵堀未央奈)自身が「ちょいちょいちょ~い!」と言うならまだしも、代弁気取りで何様が大便まき散らかして、声援送る彼女そのものを汚していることに、気付けている賢きファンと、無様なアイドルヲタとで、広く世間から嫌われる理由と、広く国民的に愛される理由とでよくわかる。

支えているファンの質。

愚民らが万人集って200万枚売れた!300万枚売れたぜ!

ってはしゃいでも、世間は誰も興味がない。

安室奈美恵の売れてる様にこそ素晴らしさを感じて心から称えたがるのも無理はない。

 

台本なんて欠片もないこの遊びの中で、空気を読んで優しさを出した台湾のチューバーもエエヤツだったね…

これだからテレビは面白いのだよ。

 

ところで安室奈美恵で常々感じるのが「とてつもない底なしの謙虚な姿勢」だ。

早い段階で「スーパースター」になっていたし、「時の人」となっていたし、今となっては「国民的、世界的なアーティスト、歌手」と称して非難してくるバカはどこにもいないほどに、成功者となった安室奈美恵だが、常に根底にあるのが「底なしの謙虚さ」

そういう風にして見せてるだけの見せかけではないし、卑屈になっての謙虚さでもない、「ファンあっての自分ですから…」って口で言ってるだけじゃない、心の芯が「謙虚であれ」という精神なもんだから、それはもう常軌を逸した謙虚さになるというものだ。

 

謙虚さのだから何なのだ?

というと馬鹿みたいに単純すぎて面白くもないともない話になるけど「浜崎あゆみ」はどうなったか?なにをやったか?「小柳ゆき」は何だったのか?

ファンたる駄馬らに、音楽や作品、表現を魅せて楽しませ続ける継続力とは、その人が持つ能力ではなくて、すべては人柄にあるんだよね。

どんなに才能が有って作品がどんなに素晴らしくても、人柄に難があれば、遅かれ早かれいずれは散るんだよね。

途中で散っては、残された信者たちは迷い戸惑うのみ。

安室奈美恵は、ゴールまで行き切ってファンたちに自分の表現できるすべてを時間が許す限りの中で作品を与え続けることができたのも、彼女の素晴らしき底なしの謙虚さがあればこそだ。

 

それで自分がイッテQを観ていてしびれた個所は山とある。

たとえばお茶を出す場面でなかなか出せずに「どうしよーどうしよー」と間とタイミングを計っている安室奈美恵は「コイツは本当にエエヤツやな~(笑)」と、涙溢れるくらいに感動してしまったし、そこは、本来は、「ゲストで出てもらってる安室ちゃんに恥かかせるな!馬鹿スタッフ!」と怒鳴り付けられてもおかしくないような場面であるが、上で述べたようにまずそうはならないし、また安室自身が、程度の低いしょ~もない感じで企画された雑な内容の「いちドッキリ大作戦」に、ちゃんと緊張感を以って臨んでいて、彼女がもう少し、スタッフが描くよりも高度で盛大な絵を描いているからこそ、「ちゃんと成立させよう、がんばろう、全力でやろう」というあの、なかなか出れない恥辱的な場面を映し出したのだ。

本当に、この人は素晴らしい人なんだなぁと感動したよね…

雑な人とか適当に熟してる人、読めない人は「もうそのままポンっ」と放り込むけど、安室奈美恵は間とタイミングを計っていたんだよね。

 

それで誰もが最も感動したのはこの場面をおいて他にはないだろう。

これ、イモト、めちゃくちゃ嬉しいだろうね(笑)敬愛する神様にいじってもらえるなんて…

 

安室奈美恵、変わらんな~という感動。

あのー、お笑い芸人ダウンタウンがMCを務める人気音楽番組「ヘイヘイヘイ」で、かなりの出演回数を重ねてガラの悪いオッサン2人と楽しくはしゃいでいた「あの日の安室奈美恵」となんも変わってなかったね…。

 

当時若くしてパワー漲り才能のあった松本人志と、浜田雅功の、さらにその上を行って「安室奈美恵の世界観」を描いていたユーモアは、今もなお健在だった。

桑田さんでもユーミンでも、なんでも、あのー…誰だっけ…宇多田ヒカル!でもさだでも

真に才能のある音楽家とかアーティストってものは、この辺のしゃべり(トーク)のユーモアも抜群で安室奈美恵だって抜群なんだって、魅せ付けてもらえて良かった良かった。。

 

日本人の悪いところでもあり悪いところでもある、感動的に、粛々と、程良いとは程遠い距離感を以って、他人行儀な感じて厳かに、イモトと、安室ちゃんが、お互い褒めちぎり合いのトークしてハイ、おしまい、楽しかった~感動した~面白かった~

では終わらなかったんだよね。終わらせなかった。

安室ちゃんの方が、イモトに寄ってくれたんだよね。

「ヘビ食え」の一言が、2人の距離をぐっと縮めたし、観ている者の心も2人の関係性にぐっと引き寄せられた。

ユーモアが成す楽し気な描きの炸裂。

安室奈美恵やってくれたわ~すげェなやっぱ。。。

誰もが感動し感嘆の声を述べる場面となった。

 

だからこの後、安室がイモトに命令的に「ほら、ヘビ食べなさい、食べなさい」言って「ギャァァァァァ!いゃぁぁぁぁぁぁ!!!うわぁぁぁぁ!!!」って喚き散らかすやっぱりヘビ食えないイモトに対して「出演してあげたのに、食べないって、どういうこと?誠意、見せなさいよ?」なんてドSな責め苦でイモトを追い込んで、追い込んで、追い込んで…

「なんで、なんで食べないの?」

「私からのお願いなのに」

「出るんじゃなかった」

「出て損した」

「イモトさん、私のファンやめてもらっていいかしら?」

「私、あなたのこと嫌いだわ」

とかなんとか言っちゃってイモトに責め苦を与えていじめる様とか想像しちゃって面白くもなってしまう。

安室奈美恵はドSだからこの辺の攻めもできるし過去での演技も抜群だったよね。

それでまたSなくせして、底なしの謙虚って、このギャップもまた安室奈美恵の魅力の一つなのかもしれない。

 

もちろんこれはこっちの勝手な想像だけれども、今後のイモトの活動の中で、いじわるなスタッフたちが安室ちゃんの名前を勝手に出してこーゆー攻め苦を与えるだろう演出は目に見えているし今からそれが楽しみで仕方がない。。

それでまたアホなイモトも真に受けちゃって

「そうだよね。そうだよね。」

とかなんとか言っちゃって受け入れて臨むことになるだろうそれはまさに進化したイモトが観られる可能性にもつながる。

 

 

それであとはなんだろう…

 

無理やりアイドルと結び付ける気もないけれど、「こーゆー存在」が今皆無で、面白くない世界になっている問題がある。

音楽界然り、芸能界、芸人の世界、どいつもこいつも能のない凡人らの真似事ばかりで面白味がない。

それは、こっちにみる目がないのじゃなくて、とうとうまったく作り手たちの才能の無さの露呈でしかない残念さが常にある。

それは主に、ネットとSNSとパソコン(今だとスマホ)とゲームに踊らされるだけ踊らされて吸い尽くされるだけ吸い尽くされてって見栄えだけ成長しているだけで心、才能が芽生えていないデクノボーの多さたるや…

アイドルが、ヲタら専用になっているのと同じで、デクノボーな自称アーティストらが、デクノボーな愚民専用でしかなくなってきていて寂しさを感じる。

 

ワイドナショーにTMレボリューが出演した時、「握手会とか写メ会をするアーティスト」について、世間は批判的であったが反論して

「今はCDだけではやっていけないから、知恵を絞って、売って、生き残っていかないといけない」

「じゃあ世間の声を受け入れて、そーゆー愚策とやらをやらないで、売れなくなって、CD出せなくなって、曲が作れなくなって、ライブコンサート出来なくなって、それでもい い ん で す か?」

と、述べていたけれど、残念ながらそれはハズレで。。

そうまでして売らなきゃならないような某は「お前の出る幕じゃねーよ」という「自分の業」ではなかったのだと気付き身を引けばいいだけの話で、誰も駄作を求めてはいないんだよね。

現代アイドルは、そーゆーテイと、そーゆーウリと、買い手がそれを良しとしているから成立しているけれど、いち真たるプロのアーティストの類までそのノリに堕ちてほしくはないものだ。

興隆期の昔は松山千春みたいな生意気いうものも多くいたものでしかし彼らの言うそれらが「正解」とか「その通り!」ってところじゃなくって、正解を求める旅をするのではなくて、そーゆーことを公に言えるって、どーゆーこと?ってその芯に潜むものに思いを馳せれば、いかに現代の作りたち手に能がないかがよく分かる。

それでまたそれを大便芸のマツコや有吉や坂上のような「どこのもんが」言うんじゃなくって…ね。

 

(多分昭和?の)安室奈美恵のラインで見ても(そのLINEじゃねーよ。。。)、モノに踊らされていた幼少期ではなくてふんだんに頭と心を使って遊べている時代の人間だから、ここまでできているわけで、いまあえてそれらを断ち切って、自然に帰り遊べる可能性ってあるのだろうか…そうそう、千秋の娘の話を自分はよく持ち出すけど、そういう風にしていかなければ、ユーモアや才能を育て上げるのはきついよね…

 

別に誰も彼もが天才を育てる必要は無いし将棋の藤井ナンタラを育てる必要もない、吸い尽くされるしか能のないデクノボーにまみれて問題はないけれど、デクノボーの上いく真たる人間様は退屈で仕方がない…マイケルジャクソンいないわ、安室ちゃんもいないわ、紳助もおらんし、ど~すんねん?

…と。

 

ここ最近でドォォォンと出てきた天才が「ふなっしー」って、どんな国やねんココは…

 

 

らしいっちゃらしいけど…めちゃめちゃ面白かったけど…

 

 

 

梨よりも

 

 

やっぱ、人がいい。。。