『カントリー・ガールズの夢物語』~Road To 武道館1cm~
バレンタインイベント以来のカントリーガールズ。
もうさすがに移籍・兼任から1年以上が経ったことで彼女たちもいい意味で吹っ切れていい意味で開き直って移籍先のグループであるいは残留組の2人はなるようになっていくのさ~♪ってそんな感じで、次第に低下していく熱量も気にせずマイペースな活動が生活の一部と化した習慣化が逆に頼もしい。
カントリーガールズに限らず、今となってはハロー!プロジェクトは「活動の行事化」が甚だしい。
- 春にハロコン、恒例のくじ引き動画、DVD、恒例のやり方、シャッフル祭り。
- 梅雨の合間のバスツアー。
- 夏のハロコン、また同じ。
- 秋は遠出の遠足(ツアー)
- 冬のハロコン、以下同じ。
- そしてクリスマスイベント!
その中に各メンバーの「バースデーイベント」があり、バスツアーが有ったり無かったり、CD出して握手会して。
DVDマガジンで遊んでラジオでくっちゃべって、息抜きもちゃんとあって。
この行事化を以って自分はハロプロに飽き飽きしてももち卒業後一気に見なくなってしまった。
そしてこの面白みに欠けた行事化を非難する声も、ネット上のコメント欄ではよく出て来るが、逆に対してそれ以上に「自分みたいな爺婆にとっては楽でいい。わかりやすくていい。とっつきやすくていい。参加しやすくていい。」という意見を多数見かける。
爺婆はあくまでへりくだった表現だろうが、お年寄りも多いがそれよりも何よりも、しっかり働いているサラリーマン勢も多くいるので、そういう人たちにとって「行事化アイドル」はかなり大きな意味を持った。効果的だった。
ここでこうきて、ああきて、それがきて、どこで有給使おう?小遣い手持ちのお金をグッズに費やすかライブコンサートに費やすか?遠征楽しむのか?
だからホントに、静かな静かな中規模の小川の水の流れみたいに、淡々と、サラサラと、物静かに荒れることなく緩やかに、ただただ流れる川の水を眺めているとふとした時に桜の花びらがサラサラと流れてきたり、青々とした葉が流れてきたり、真っ赤に染まった紅葉の欠片が流れてきたり、川の水が凍り付きそうなくらいに凍っていたり、そんな如くパターン化された「アイドル活動の行事化」なのだ。
そんなハロプロからAKBに移り観ている者なので、AKBはなんて日々激動で躍動的で、生々しくて、リアルで、荒々しくてそれでいて緩急に富んでいて、なんて楽しい世界なのだろうと、活動しているアイドル女子一人一人が生き生きとして燦爛と輝いていて目が奪われる、そこに感動したクチなのでその逆を行くハロプロにはやはり興味を失ったまま再び湧くことも無いのだろうと気付けている。
それでだから「ハロプロ今どうだろう?」ってちょっと寄り道してチラっと見てみると、相変わらず小川の水がサラサラと流れているだけで、「らしいな~(笑)」「相変わらずだな~(笑)」なんてちょっと尊敬の念を抱く「相も変らぬ姿」をいつも目にできる。
それでふと寄り道して見た時
「カントリーガールズでいつか武道館に立ちたい!」
残留2人山木梨沙と小関舞のインタビュー記事が出ていました。
で~、各種サイトはAKB勢とは違ってほとんどが好意的な意見が集まってくる中で
やっぱり虚しさは感じてしまうもので…
別にそんな気持ちはさらさらないんだけれど…
アイドルは苦労しなければならない
苦労した先にアイドルとしてあるべきだ!
ホントに一切ないんだけど…
今のカントリーガールズの残留2人の在り方を以って武道館コンサート決定!やったね~おめでと~という声がたくさん上がるのは間違いないんだけど、自分はすごく虚しく感じてしまうだろう。
カントリーガールズ武道館決定~!!で?…って。
苦労したご褒美としてなければならない、という気持ちはさらさらないのだけれど、やっぱりどうしてもやったねー!とはならないんだよ。(決まってもいないんだけどね。。)
ハロプロの特徴でいつからか、大人たちに与えられるだけのものを熟す作業になってしまっていて、おそらくこれが「アーティスト化」と言われる部分なのかもしれないし、そもそもがアイドル歌手ってそーゆーものだし?っていう物言いの正当化でもあるかもしれない。
崖登ったり洞窟這いまわったりバンジーしたり負荷かけられて泣いたり泣いたり叫んだり、なんでそんなことせにゃならんのだ?という言葉たち。
豆腐プロレスで賑わっていたその中のコメントの多くは「歌って踊るアイドルの姿が見たいんだよ!」って言うのとも合致するだろう。
でも自分はいち個性を持つ一人一人の女の子たちの出せるだけの力を以って魅せてくれる魅力や面白さに魅かれるんだよね…
モーニング娘。の初期も初期、誕生したかしないかの最初期のメンバーたちは、何をやっていただろう?
スマイレージ(現アンジュルム)の初期も初期、当時のつんく♂Pは、彼女たちに何をやらせただろう?
小学校中学校の普通の女の子が、大都会の路上に繰り出して、何をやっていただろう…
ももクロの下積み時代に思いを馳せてもいいし
洗脳済みの連中らにとっては「歌って踊る姿が観れればいいんだよ!」だろうけど、そうではないしかし好意的に見てくれる目のある多くの人たちを魅了し引き付けるためには、
アイドルとして芯に潜む「何か」を欠いてはいけない。
モーニング娘。やAKB48が、グループ誕生して、間抜けなPが「よっしゃ!CDデビューだ!可愛いから売れる売れる!いけいけ!」なんてやらかしていては、どうなっていただろう…。何かを飛ばしてデビューして、歌って踊って、大きなステージを得て…
現アンジュルムの有志たるヲタたちは口をそろえて「スマ1期」を誇らしげに語るんだよね…。
別に「それ」をやったのお前らじゃねーだろ!ってところなんだけど、そうではなくて、過去に固執しているのではなくて、彼女たちのスタート、やったこと、勇気、伝説を深く理解し語り継いでいるんだよね。
で、やっぱりそこにこそ、アイドル女子らの「真の面白み」「真の魅力」彼女たちにしかできない魅せられない「何か」が隠されている。
で、それが、メンバーの卒業と加入とを繰り返す現代のアイドルグループの在り方として、新しく入ったメンバーたちが、先輩たち(が成した偉大なる偉業)におんぶに抱っこ状態で、魅せれていないから滞り、停滞し、下降するしか術が無い。
途中述べているように「別にそんな気持ちはさらさらないんだけど。。」
別に女の子たちの苦労する姿が観たいとか、タダでいい思い(デビュー、シングル、コンサート)させるのが嫌だとか、ご褒美的でなければならないとか、顔が可愛いだけで得しやがって!とはまるで思わないんだけど、やっぱり自分は、そっち系であったらいいのにな~、面白いのにな~と思ってしまう。
そんなに言うほど上手いわけでもないし、そんなに言うほどかわいいわけでもないし、音楽性に優れているわけでもないし、ここだけ観てもなぁ~…って。
それでカントリーガールズに話を戻せば、仕掛け人つんく♂Pもいなしで行事化されたハロプロの中にいては身動きできない、やりようがない、出番がない、それでいて温情獲得して武道館~やったぜ!
虚しい…。
脱出ゲームの達人と化した山木梨沙と、学校生活を楽しむ小関舞と、そんな者でも大人のさじ加減一つで武道館に立ててしまうの?
AKBの1830の方がバカ丸出しなの?
ってことを書いてしまうと、結局女の子たちの苦労する姿が観たいとか、タダでいい思い(デビュー、シングル、コンサート)させるのが嫌だとか、ご褒美的でなければならないとか、顔が可愛いだけで得しやがって!
になってしまうんだよね…でも違うんだよなぁ~この感じ分かってくれる人いる~?
だからそうはいっても移籍・兼任・残留するならするで、北海道研修生と絡めてみるとか、カントリー(田舎的)活動をしてみるとか、週末ライブやトークショーでもいいし、デビューできないでいる研修生を入れて遊んでみるとか、ストーリーの継続、物語の紡ぎ、第2章、第3章、何かできたはずなんだけど、つんく♂Pもいないし行事化されたハロプロにそれを期待するのも虚しいだけ。
それはここで述べた通り、ブレない姿勢ゆえに。
その木の木陰が居心地悪くなったのなら、勝手に出て行けばいいよって。