AKB48×ハロプロ 現代アイドル読解学

今をときめくアイドル達の輝きとそれらを取り巻くヲタらの生態を研究・観察していきま~す。

SKE48の第二章幕開け企画第一弾! ~そこに吉村崇がいたという事実。~

 

かつて吉村崇は、当時のモーニング娘。の日曜日の朝のバラエティ番組に出演していた過去を持つ。

ハロモニ@」という番組だ。

そこでは、「赤チン国王」というお人形さんの声だけ担当し姿かたちを見せることは無くただひたすら声のみで参加し出演していた。

あの日のモーニング小娘。のメンバーたちに対して

「あれやれぇぃ!」

「それやれぇゃ!」

「行けぇ亀井ぃ!」

「オラやれ亀ぇ!」

怒鳴り散らして命令し、そして(当時)純粋で素直だったしかし弱弱しい女々しいメンバーたちは逆らうことなく頑張って一生懸命こなそうとあぎかくるしみ耐え忍んで挑んで、心を鍛えた。

 

すごく興味深いのは、前作「ハロモニ」が終了し、(時間帯は同じままで)ハロモニ@にリニューアルして流れ込むわけだが、ハロモニではまさにAKBINGO!にあるようにスタジオ型バラエティ番組でゲームしたり対決したりクイズしたり食ったり踊ったりのスタイルの番組であった、にもかかわらず、リニューアルしたハロモニ@では、スタジオを捨てて、野っ原へ飛び出す方針に転換した…

「にいがったフレンド!」のような田舎町ではない、東京都会の人通り大洪水の如し大都会の街中を、一般人の「何あれwww」感満載な恰好を蔑み見られて汚いものを見られるような冷たい視線を浴びまくって、それでもあえてぶらり外ロケ野っ原企画へと打って出、果敢に挑戦しているんだよね…。

これはすごい…

これがあったからこそ…

ここに「吉村崇」がいてくれたからこそ…

この、ハロモニ@の外ロケぶらり歩きを通じて、当時程度の低かった小娘丸出しの無様なモー娘。メンバーたちが、ガチで、マジで、心と精神が鍛えられて強くたくましく成長していくのが傍から見ているレベルでも容易に分かるほどに、見事に鍛え上げられて成長していった。

ここが凄い。本当に素晴らしい…。

今まではスタジオにいて楽屋があって、お菓子があって飯があって、食い散らかして、楽屋荒らして、スタジオではしゃいで、全部スタッフさんたちが片付けてくれて、「はいお疲れ~」っつってやりっぱなしで去っていくだけで良かった。

全部やってくれるおんぶに抱っこ。

身内に囲まれ壁に守られて。

 

しかし、だ。

ハロモニ@にリニューアルして野っ原へ繰り出し、世間の冷たい視線を浴びて、恥をかき(にいがったフレンド!のようにお店なんかにロケ交渉しに「カメラ良いですか~?」「ロケいいですか~?」と聞きに行くのだが、そこは南極の氷のように冷たい冷めきった心の東京人だから?にいがったのようにすんなりいくことの方が珍しいくらいで拒否されることも多い。)、辛い目にあい恥辱にまみれて、しかしそんな中でも一縷の心優しい人々との触れ合いなんかも時にはあり、そうやって「野っ原の精神、魂、心」を育み鍛えて、強くたくましい女の子へと成長していった。

1、2人がではない。

当時のメンバー全員がである。

それはもちろん、ハロモニ@にリニューアルしてすぐくらいに新加入した中国人娘のジュンジュン、リンリンですら、強くたくましく一気に素早く育ちあがった。

ジュンジュン、美人やなぁ~…

 

である。。

ホントに見事に、歴代モーニング娘。およびハロプロアイドル達一覧において唯一見れる美人がジュンジュンだ。

この美貌でなおかつ人間力高くてめちゃめちゃ賢くて、めちゃめちゃ優しいって…なんやそれ。。。

日本人の優しさって、まさに心から繰り出される素朴で素直な優しさであるのに対して、ジュンジュン(中国娘)の優しさは(よくわからないが)孔子孟子だなんやかやとあの辺の「古き教えの書」的な、「礼、義、恩、孝、誠、徳、心」みたいななんかそーゆー要素が絡み合った混ぜ合わさった複雑さが垣間見れる少し高度なそれでいて芯突く「親切さ、優しさ、よくできた子やなぁ~」感である。

それでなおかつ美人って…、ここが中国人娘の最たる魅力でありポイントでもある。

※ついでに書くとリンリンなうもめちゃめちゃ美人だ!

 

中国女の話はどーでもいいんだけど要はハロモニ@にリニューアルして、スタジオでやってりゃ作り手たちもそりゃ楽だろう…しかしそうはしまいと街中お散歩企画で野っ原へ繰り出したことによって、今まで気弱で軟弱だったモーニング小娘。たちの心と精神が鍛えられて、強くたくましくなっていった。モーニング中の大娘。くらいにまで成長していけた。

そこには、「吉村崇(声のみ)」がいて、男のやり方で彼女たちの背中を押し、男のやり方で攻め、男のやり方で勇気づけて、小娘たちを野っ原へと導き鍛えてくれていたのだ。

「ビビってんじゃねー、行けオラぁ!」

「なよなよしてんじゃねー、やれオラぁ”!」

この役が、本当に普通の気の良い優しい芸人とかアナウンサーとかだったら、ぬるっぬるのぬるま湯オチでど~にもならなかっただろう。

でもそうじゃなくて「吉村崇」だったんだよね…、これがホントに面白い。

吉村崇を選んだんだよね。

吉村崇が選ばれた。

 

ただ残念だったのは、(ロケに同行しながら)声のみ担当で絵面に映り込むことは無かったからそれはそれで彼もまたやり辛かっただろう。

今のSKEむすびのイチバン!のようなスタイルで自由自在に自己主張して存分に動きアピールできて「オレ様のやり方について来いやぁぁ!!」って仕切り指導し引っ張ってくれるスタイルであったら、あの日のモーニング小娘。たちももっともっと強くたくましく成長しただろうに。

 

それはそれとしてこれで何が面白いって…段差を作ったこと。

 

二段目という段差を作ったことの大きな意義。

 

モーニング娘。誕生に関わった設立時の初期メンバーである若かりし頃の飯田圭織は、次から次に新メンバーが加入してくることを嫌っていてこんな言葉を発している。

「この子たち(後輩)は手売りしてないじゃん。」

モーニング娘。とは私たち1期生だけのことを言う。」

「この子たち(後輩)はモーニング娘。ではない。」

言いたい気持ちはよく分かる。

つまり、モーニング娘。は、もともとがオーディション落選組を集めて、全国各地歩いてCD手売りして、(正確な数字は知らんけど)1万枚売ったらデビュー!という企画に弄ばれて、しかも当時のテレビの悪いところが出て、よりドラマティックにしようとドキュメンタリーテイスト強めでいこうと、彼女たちに怒号を飛ばして

「やる気ないならやめてしまえ!」

「CDぜんぜん売れてねーじゃねーかよ!」

「てめーらみたいなブスの集まりが外見で売れると思ってんのかオラァァ!」

(そんな裏事情は知る由もない)10代の女の子としてはかなりきつい厳しい罵声怒号憤怒驚愕をぶつけられて泣きに泣いて血の涙を流して、それでもメンバー一丸となって挫けず負けずに目標を達成し、デビューして、ついには(落選にあたるそのオーディションを勝ち得た平家みちよ…だったかな)それの人気をあっさりと越えてしまい売れに売れる国民的アイドルと呼ばれるモーニング娘。が誕生するのだ。

それ(地獄の手売り活動)を後輩たちはしていないと。飯田圭織は言いたかったのだ。

それをせずして「オーディション受かった~やった~今日からモーニング娘。だ~♪」っつって納税者ランキングに名を連ねちゃってるへらへらチャラチャラ後輩たちに苛立たしさを感じたのは確かに確かに、飯田圭織らしい嫉み妬み感が垣間見れてそれはそれで面白いが、彼女の言いたいことも良く分かる。

「お前ら後輩は野っ原へ繰り出してないだろうが!」

と…。

 

だから面白いもので、手売りした初期メンバーたちの強さたるやなかなかのもので、あの後藤真希ですら見かけでは見えない芯はスカスカの虫けらみたいに脆かったのが丸見えで、あぁ…確かにこの人は野っ原に出れていない系だなぁ…というのがよく分かったし、黄金期の一員である辻加護はガキガキくん過ぎて言うに及ばず、今話題の吉澤ひとみもスカスカだったし、唯一石川梨華だけが、いろいろな経験を体当たりで受け止めて全力だったこともあって、とにかく泣き虫でよわよわしぃ「ザ・女の子!」であったけど、彼女は芸能活動が野っ原となったことで、他のメンバーたちよりかは突出してたくましかった。

だ か ら、それを見越して当時のプロデューサーつんく♂Pは、とにかく彼女を使いたがった。

使って面白い、やらせて面白い、彼女は挫けず文句言わずに当たりに来てくれる。

当時の他のメンバー(初期含めて)の中で最も活躍頻度(ユニット兼任、他グループ兼任)が飛び抜けて高かったのが、石川梨華だった。

それらの活動もまた彼女にとっては野っ原となり、心を鍛える場ともなった相乗効果に恵まれていたメンバーだった石川。

 

 

話がだいぶズレているので戻すと、ハロモニ@を経験していた当時の小娘たちが、そこで吉村崇の指揮下で野っ原の精神を鍛え込み強い心と魂を作り上げたことによって、手売ではなかったが、またここに新たなイズムの息吹が芽吹いて新たな段差が作られたんだよね。

モーニング娘。第二章の開幕となる土台。

 

なにかこう第二章とか再浮上とか、売れなきゃとか、人気が出なきゃとか、そーゆー方向で捉えられがちだけれどそうではなくって、演じ手である彼女たちにしっかりと骨の髄まで観る者を魅了する人間的魅力が満ち満ちて魅力的であるか否か、人間力の高まりやステキさ感、濃いキャラ、人としての強さがぎっしりと詰まっているか否かで、それが非常に濃い濃度で漏れ出ているのならそれはもう「第二章の幕開け」として良い。

 

それは、彼女たちが主役となって進み創る新たな物語の始まりを意味する。

 

悲壮感漂う物語ではない。

 

数ページであっけなく終わる見切り発車の物語でもない。

 

コイツらならまた更なる大長編を紡ぎ描いてくれるという、心から長編を確信できる、感じる強さ。

 

国王吉村率いるハロモニ@の娘たちは、まさに当時の、AKBの台頭に直撃して、人気の面ではもはやにっちもさっちもいかない無様なナリに成り下がった。それは間違いない。

しかし、創り出される物語の数々は、もはや初期メンバーたちのそれを上回り、なおかつ、(演じや作品で彼女たちが描き)作る質、クオリティすらも初期メンバーたちを容易に上回っていた。(今観ても遜色のない面白さは、初期よりもこのプラチナ期である。圧倒的大差を以ってと断言できる。)

人気低迷暗黒期のドン底期でありながらにして、その質の高さを後に再評価され「プラチナ期」と呼ばれるモーニング娘。的史上いち時代を築いたのだ。

そこにはもはや初期メンバーたちの面影も無い、おんぶに抱っこ感もまるでない、まさに第二章、己たちでつくり上げた2段目という場所感、別物、別格、超越凌駕を感じさせる上段新世界だった。

つまり、今のモーニング娘。のメンバーたちは、このプラチナ期の土台に乗って活動している。プラチナ期におんぶに抱っこなのである。(それは続く現役メンバーが3段目を作れていないからでもあるが)

もちろん、芯の底には初期メンバーたちがいる。プラチナ期はそれを破壊して一から作ったのではないからして初期メンバーたちの土台に2段目を作ったのは言うまでもない。

その分岐がまさしく「ハロモニ@」であり、そこに吉村崇がいたというのがまた面白い。

 

そしてこれをAKBグループに当てはめてみると、AKB48はいまだに1段目のままで2段目がつくられていない、つくられる気配もまるでない。今もまだ初期メンバーたち(1~3期、~7期)の土台におんぶに抱っこなのが、AKB48の現状である。※1

そんな中にあって、SKE48は今まさに、頑張り屋の熱血的な後輩たち(主に中堅メンバーたちといくらかの新規)によって2段目が作られている。最中であり、完成間近なのかもしれないし、実は既に第2章が幕開けしているのかもわからない。これは、モーニング娘。のプラチナ期がそうであったように、リアルタイムなうで見て取れるような代物ではない。なにかこう作り手や黒幕たちの手が加わってあからさまにリニューアルしちゃってしまえば「あ、変わったね」で済むが、そうではない進化、強化は、時を経てじょじょにのちのち気付けるものだ。「はい!今から絶賛第二章開始してま~す♬」ってそんなチャラチャラしたものではない。

しかし、予兆、空気感から察することはできる。

学年が上がって新しい教室、新しい机といす、新しいクラスメートに囲まれて、配布されるツヤツヤで綺麗な教科書を開いた時のような感覚、「新たなスタートの予感」を、今のSKE48からビンビンと感じる。

それはすべて、むすびのイチバン!と吉村崇の情熱が、彼女たちの第二章を浮き上がらせてくれているからだ。

 

おそらく多くの者が、アイドルなのにバラエティからでって、鼻で笑うだろう。

しかし残念ながらアイドルであるがゆえに、そこからのスタートには意味がある。

てめーらが活動している場所は女々しいオカマやハゲやオッサンが寄り憑くなよなよしたアイドル界ではなくて、男の世界芸能界なんだよって、そこへ引っ張り出して、それを意識させて、そのやり方を強いてやらせ、出来ない者は去れとふるいにかけて、しかし去らずにしがみついて必至に食らいつくことで強くたくましい心が育まれる、男の世界芸能界でやっていく能力が、他の姉妹グループの女々しい小娘らと比較して戦闘能力が自然と高められる気風が騒々しく吹き荒れているのは、吉村崇とむすびのイチバン!無くしてはあり得ない。

ハゲヲタ様のお手てを握って劇場で小踊りしても人間力は高まらないし男の世界芸能界で生き抜く戦闘力は欠片も高まりはしない。そんなことしてて世間一般の清らかな心を持つ人たちの目や心には触れない。

吉村崇が刺激してくれるそこを高めることこそが真の再浮上、超越に繋がる。

 

ドMなおしりんのおしりをバシバシ叩きたい…罵倒しながら…

 

ではない。

「がんばってる」

を出した子に対して

「ころ**ぞお前」

とぶち込んだ吉村だ。

さすがにテロップ表示にはなりはしなかったが…

女子から「ヘタクソ~」ってよく言われたが…っと失礼、、、男子は女子から言われるらしいとよく聞くが、とにかく吉村はMCの子に対して波状攻撃の容赦ないダメ出しを繰り出す。

「ヘタクソ」

「つまらん」

「やめちまえ」

「**すぞコラぁ!」

 

それは、彼女が、「静岡のローカルタレントになりたい」という夢を抱いていることを知ればこそ、そんなヘラヘラチャラチャラした程度の低さ「なんも思考せんと適当にやってるような如き」がなれると思うなよ!勝ち取れると思うなよ!貴様のライバルたちは山の様にいるんだぞ、てめーの代わりなんていくらでもいるしお前でなければならない理由なんてないんだぞ、という熱血指揮官吉村崇による熱い指導でもあるのだ。

「やりたいなら思考してちゃんとやれ」

厳しいがしかし、深くには愛あるダメ出し。なよなよとした女々しい女子らのハートを鍛え込む吉村の言葉攻め。

夢破れて田舎へ戻る哀れさを思えばこそ、今ここで厳しく苛め抜いて育て上げるのだ。

女子らを罵倒して興奮するドS魂ではないのだよ。

ちなみに吉村崇はドMだ!

 

おーちゃん可愛いなぁ…

 

ではない。

二人羽織で納豆おむすびを作って食べようのコーナー。

末永桜花は嫌な顔一つせず欠片も見せずに常に笑顔で明るく楽し気に、納豆がその綺麗な黒髪にひっついても何の曇りもなく楽しくやり続けた。

やるではないか…吉村もこのシーンではダメ出しするどころか見ながら楽しんでいた。まさにこれは男のやり方、芸能界での正解のやり方を、末永桜花はやれた証。

これは素晴らしかった。

今年の総選挙でついに45位の大躍進を遂げたのもうなずける。

悲壮感の欠片も無く見事に笑顔明るくやって魅せるこの辺りは、HKT48の逸材松岡はなと同じでもある空気感とオーラ持つ。

それでまた最後にちょっとふてくされて気落ちして、でも「んふっ♡」って笑っちゃってるその感じの愛嬌が、アイドル魂炸裂していてお見事だった。

こーゆーメンバーが吉村崇のやり方に喰らい付いてぶつかることでちゃんと浮かび上がるし、SKE48の第二章の主役となっていく。あわせてSKEのヲタらもちゃんと評価してくれているのだから文句のつけようがない。

 

この場面での彼女の何がすごいって、やる前に

「納豆髪についちゃうけどでもいいです!」

「私、後輩ですから」

「頑張ります!」

って、後ろの荒井ちゃんに思いっきりやってくれて構わないと暗にメッセージを飛ばしていたんだよね…気を使われて変に中途半端になるものほど気色の悪い寒さ爆発する地獄行きになることも無い。

末永桜花は「先輩、思いっきりやってくださいね!」って、間接的に伝えたんだよね…こりゃ凄い!

45位おめでと~🎉でいいよこの子は、只者ではない…第二の松井玲奈を予感させられる怖さがある。

 

吉村さんの大きすぎて咥えきれなぁい♡

 

ではない。

高木由麻奈ガチ恋ヲタらが超絶嫉妬したシーン。

それは、オトコとオンナの触れ合い絡みを魅せ付けられて嫉妬するのではない。

こんなにも楽し気な明るく面白い世界観を、共同作業によって作り上げられたことによる嫉妬だ。

彼女もまた嫌な顔一つせず悲壮感の欠片も魅せずに見事に面白可笑しくやったのだ。

しかもおーちゃん同様最後はプンプン怒ってる表情、かーらーのー、プふっ♡って笑っちゃう絵もしっかりと魅せた。

 

悲壮感がない=つまりは、ど~せあたしは人気ないし、不人気メンだし、体張らなきゃ呼ばれないし、みたいな自虐的な積極性が無いことの意。やり過ぎちゃう感じ、意気込みすぎていき過ぎちゃう系。空回りから起こる。

 

ちゃんといちアイドルとしての立ち位置を忘れずに、そこからの、それでいながらにして、この汚れていく様が面白いわけだ。極端な話、中西智代梨や村重のようにそーゆーことを積極的にやりまっせ!のような空気感だと、この良さは出てこない。

オトコ吉村崇の汚汁苦で汚された高木由麻奈のその顔はより美しくなった。化粧を塗りたくるよりも色気が10割増しではないか!?

いいオンナ系アイドルとして美り映えたのだ!

第二のゆきりんSKEに在り!

ということだ。

 

なんてこったい。。。

そうだったのか…こんな「二」あんな「二」すらも生まれ始動していたのか…恐るべし、SKE48

 

こうやって彼女が吉村に喰らい付いて熱く全力を以って出来るのであれば来年の総選挙は見ものだ。

須田亜香里松村香織、バード高柳など多くの熟女たちが来年は不出馬するだろうからこそ、惣田紗莉渚を筆頭に「ネクストウーマン」たちに光が当たると言われている。だからこそ、彼女がやめずに続けるのであれば高木由麻奈須田亜香里や松村姐さんに代わって選抜入りや神7入り!なんて事態にもなる可能性を秘めている見どころが今から楽しみで仕方がない。

 

 

バカみたいに張り過ぎたせいで字数制限が迫ってきている…

 

とりあえずこんなものはほんの一瞬の一場面に過ぎない。

このように吉村は次から次にいちいちいちいち漢観を繰り出してくるのだ。

そして大切なことは、吉村崇と、むすびのイチバン!という、2点セットであることだ。

ハロモニ@のようではいけないし、子供向けでもいけない。

むすびのイチバン!であっても、そこに吉村ではない芸人であってはいけない。

次回で詳しく述べるが、今年の夏の回はすべてが「むすびのイチバン!」は真夏の太陽照り付ける外へと繰り出していた…屋内に篭るのではない、太陽の下へだ!

これは、吉村崇だけが凄いのではなくて、むすびのイチバン!の作り手たちも只者ではないな…という力強さ、才能を意味している。

 

 

※1

AKB48については、厳密に言うと「ステップアップの踏み台にしなさい」発言もあることだし、AKB48はおそらくそれでいいのだろう。グループそのもので突き進むのではなくて、踏みつける「なにか」だからして、このグループ自体の進化や強化は必要としていないから興味も無いということなのだ。秋元Pの言うところによれば要はグループの進化や強化ではなくて、そこを踏みつけて利用して「あなた自身(アイドルたち)」が光り輝き何かしらの進化や強化される(AKBというグループの)存在であればいいという設定。