AKB48×ハロプロ 現代アイドル読解学

今をときめくアイドル達の輝きとそれらを取り巻くヲタらの生態を研究・観察していきま~す。

【清司麗菜】AKB総選挙2018 ~大島優子を彷彿とさせる芸達者なアイドル!芝居の世界で花開く逸材!…かも。。~

NGT48:清司麗菜

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あとがき一覧 

 

2018総選挙、圏外だったメンバーに目を向けるコーナー第七弾はNGT48のファンと公言済の大獅子麗菜さんで~す。

 

 

せーじねぇ~…

あ、いや、千原じゃなくて。

この人は何だろう…ホントに普通の10代の女の子だから心許ないホントに普通の人で何を巻き起こす力を秘めていることも無い。たぶんこれが、典型的なAKBで云うところの素人女子の成長物語のヒロイン役としては抜群に似合うのだろう。

1期生における熾烈なスタートダッシュバトル対決にもまんまと敗れ(厳密に言うとスタートすらしていない、走る際のシューズ選びをずっとやり続けてここまで来ちゃった、みたいな子)せっかくの「1期生の特権」を無駄にし不意にし大きく出遅れてしまった元研究生のメンバー。

大切なことは別にさぼってるとか活動してないとかそーゆー意味ではなくて、「やったんで!」「とったんで!」の自らの意思を以って成すような飛び出し、ダッシュ観が特にないという意味で。そりゃあ「これやりなさい」「あれやりなさい」「番組出なさい」「イベント出なさい」言われてやることはいくらでもあるし真面目にこなしてきたけど、それだけじゃダメなんだよね、AKBって。すでに行事化を完成させたハロプロとか、あるいは普通のアイドルとかであれば与えられたものをただ熟すだけで良いのだが、AKBは「それプラス」があることが面白いわけで、この「それプラス」にこそ自身の自己プロデュースなりやりたいことなり夢へ向かうステップアップ要素だったりして、ここにこそ「成長物語」がふんだんに入り込む余地があるわけだ。

清司麗菜はヒロインであってもそこを疎かにしてしまったせいで今のところ、物語進行率としては薄々のつまらないいちメンバーに成り下がってしまっている。

呑気にインスタなんかで「可愛いでしょ♡」「綺麗でしょ♡」なんて写真あげてるのとか見ると切なくなってくる…平安古典の物語で云うところの「あはれなり。。」という心境になってしまう。

それでそのうちドラクエとかやり出したらそりゃもうさすがに僕だって泣いちゃうよ…

 

別に総選挙の順位云々ではなくて。

順位を勝ち取れとかではなくて。

かとみなみたいに狂暴となって勝ち取りにいけよ!

ではなくてね。

むしろ総選挙の順位がいくつであろうとたとえ圏外であっても物語がきちんと進行していて観ている者に伝わり楽しませる進行率であれば「大器晩成」的にいくらでも映えるし、たとえAKB的アイドル活動でパっとしなかったとしても、後の芸能活動で爆発したり炸裂したりできる力を秘めているものだ。元AKB48の岩田華怜なんかが一番わかりやすいけど自分の夢を早々にばらしちゃってなおかつ得意分野で鍛錬もしていて魅せ付けてやって、って、出来ていると良いのだが…みんながみんな岩田華怜(彼女の発明品とは言わないが「漫読」だってほぼガラ空きの席、女の子としては完全にガラ空きの席だった)になれないのも分かる。

物語っていうと何かこう寒々しい「なんやねんそれ?」「気持ち悪っ!」って思われそうだが、愛でたる孫の単なる成長記録の眺めなんかではなくて芸能界で活動するアイドル名乗るいち輝かしい存在として「何かをやって魅せ付ける」という芸能界ならではの炸裂を、まさにアインシュタインで云うところの時空間斬りのように小刻みなタッチで各場面に「何かをやって魅せつける」を描いていくことでボリューム増し増して「あの頃キミは…」の連打感が物語となって連なり、観る者、推す者、ファン、ヲタの目と耳と心を楽しませて強く引き付けることができる、そーゆー連なるストーリー。

 

まあ、難しいか…述べたようにもともとは普通の素人の10代の女の子なんだから。

 

そんなゴチャゴチャ書くほどに簡単なことでもない。

 

とかなんとか言っちゃって、せ~じの良さはもう判明している。

 

いや、だから千原じゃなくって。。

 

清司麗菜の良さって、「芸達者で器用」なところ。

清司麗菜を語るうえでは欠かすことのできない彼女の名作「にいがったフレンド!神サランラップ芸」

 

これと、この回とを観れば、彼女がいかに「女優」に向いているかがよく分かる。

なんていうのだろう…「直感的表現力」に長けていると言っても過言ではない。

瞬時に見て、見抜いて、なんとな~く、そんな感じ、って感じで真似てコピーして、上手く表現できる。

それが写生(景色なんかを見て絵を描く)とか、ずっと見続けて書いたり描いたり真似たりするのではなくて、さっと瞬間的に見て、なんかそんな感じってのをインプットして、真似て表現する能力。

 

ちょうど今。

AKBINGO!の感想文書き溜めているんだけどその中で観てて、鳥居みゆきの演技指導企画みたいなものがあって、エアで、なにもなしで、物とか一切使わずにエアで、たとえば「ラーメン食べる」とか「学校に行ってきまーすの場面」とか、エアでやるっていう、コーナーがあって。

そこでチーム8含めてAKB48アイドル達が挑戦するんだけど、ラーメンは熱いのに器をガッツリ掴んじゃったりとか、箸取る動作無しにいきなり食べちゃうとか、ぜんぜんダメなんだよね。

コピー感が不足して表現されて出て来る絵が悪し。

これを、清司麗菜がやったとしたら、ものすごく上手くできる(可能性を秘めている)んだよね。

直感的表現力に長けた大獅子麗菜であれば、こーゆーのを上手く熟して、審査員(演芸員)なんかを「ほほぉ、やるじゃないか!」って、唸らせることができる。

NGT48のシンデレラガール奈良未遥もデビュー当時のにいがったフレンド!内でロッチ中岡から「こんなんやれ」「あんなんやれ」といろいろなお寒い芸を命じられてやるんだけど、これはもう観ていられない、観ているこちらが恥ずかしくなるこれもまた平安古典の物語で云うところの「かたはらいたし」とか「はずかし」になる寒さが常にあった。

山田野絵だってそう、勢いは良くても所謂「クオリティが低い」ため、寒さを脱し得ない。

その他のメンツらもそういった「芸」を披露する時、照れや恥ずかしさが入り混じってみるに堪えない。

 

ところがこの清司麗菜は、器用に芸達者にキッチリがっつり上手く熟すんだよね。

別に「あっはっはっはっは!」って腹抱えて大爆笑するような面白さではない(そもそもがロッチ中岡のアイディアなんてたかが知れている、アイドル達にやらせるネタがネタなんだから。そもそもが。)

でも、清司麗菜のそれらは、観れるんだよね。ちゃんと観れる。寒さが無い。恥ずかしくならない。

「やるやん!」「エエやん!」「オモロイやん!」って。

声出してあははと笑うことだけが面白味ではない。いろいろな面白味があるなかで清司麗菜の芸達者なにいがったフレンド!内で魅せるいくつもの場面は、そういった「観れる面白味」が常にあるのだ。

それを成すのはすべて彼女の、直感的表現力の強みである。

第二の名作「スーパーボール」回での歌舞伎遊びより。

歌舞伎のメークしての「かとちゃん」とか「ケンちゃん」とか「ウッチャン」の得意とする歌舞伎芸も、(そもそも歌舞伎なんて見たことも無い)女の子がやる憑依芸にしては良く出来ていた。まさに「直感」で歌舞伎を表現して真似たのだ!

 

彼女の非常に良いところの一つに「迷いが無い」=「変な間、観心地悪い間がない」

やる時はやるでビシィ!っと決めるし、それでやってシ~ンとなった後の

「えっ?あれ?(笑)」

でちゃんと笑いも起こる。

歌舞伎だけじゃない大獅子だってあれはあれで見事だ。あれはまさに彼女の特権でむしろあれ(大獅麗奈)こそを志村けん加藤茶ウッチャンに見せて笑わせたいものだ。年取って優しくなったおじさんたちは大獅子麗奈を大絶賛してくれるにちがいない。

 

で~、その歌舞伎回のラストあたりに、うどん食べるんだけど、そこでもロッチたちが悪乗りして、「歌舞伎で感想言ってよ」って。

それもまた嫌な顔せずにスッといい間で戦闘態勢に入って…

アホだコイツ(笑)

 

オモロイね~ナイス清司!いいね清司!カッコいいよ清司!

この時、彼女に危機があるとすれば、一応「アイドル女子」なので、こーゆー形態は残念な風に映ることもある。

どうしたって可愛いとかカワイイとか、ニャンニャン女子とか、そーゆー風に見ているヲタらも多くいるから、清司麗菜のこれらはそういったヲタらからは不評となる、という危機。

しかし大丈夫。

元アイドルの須藤凜々花が既に明かしてくれたように「カワイイ」とか言っちゃってるそこ重視の人たちは総じて気持ち悪い人たちだ、と。

AKBとは何ぞや?

をきちんと心得ている有能なオタクらは、清司のこーゆー場面を無下にはしない。

これこそがAKBなんだよ!

って、ちゃんとわかっている。

それで、これだけではダメなんだよね。

これだけだと「いち芸」で終わってしまっている。

上で岩田華怜という逸材を持ち出したのにも理由があって彼女もまた芸達者で器用で度胸も抜群で、そこにさらに、「自身の夢」を盛大に語っていたんだよね。

ブロードウェーに立ちたい!」

「芝居!女優!映画!ドラマ!」

何も知らん者は身の程知らずのガキが…と、思うかもしれない。

でもその熱(夢への情熱)は、観る者にきちんと伝わる、彼女の炸裂させる芸の数々が夢の実現に繋がりそうな予感すらさせるし、また自分で夢を(公に)語ることで言うことでアンテナが強く強く張り巡らされていく効果もあるし、もちろん、作り手、黒幕たちの耳や目にも止まることだってある。

で結局岩田華怜はAKB的総選挙としては万年圏外でありながらにして、卒業発表してから、どこぞの(かなり有名な)芸能事務所に所属して、若くして女優業をスタートさせていたりもする。

 

だから~…

清司麗菜が「女優目指してる!」はいくつかの場面で観たり聴いたりしているけど、まだ彼女の熱が見えてこない不安定さの中にいて、せっかくにいがったフレンド!で炸裂させても、そこだけで終わってしまっている点が残念でならない。

「にいがったフレンド!芸」になっちゃってるんだよね。

「にいがったフレンド!限定芸」

(口だけじゃなく彼女が本気で目指したいと思っているのであれば)須藤凜々花の麻雀やラップみたいにどんどんどんどん公言していってアピールすることが大事だよね…同じNGT48の西村奈那子おねいさんだってマラソンアピールしてNHKに呼ばれちゃってるんだから、AKBであることを利用して(まさに秋元Pの言葉)「AKBを踏み台にせよ!少女たちよ!」を体現している者こそ、AKBグループアイドルの勝ち組であり真の勝者となれる。

 

総選挙の順位なんてどーでもいい。

清司麗菜は、実はその点での逸材であるのだ。

自分の勝手な思い込みではないからね…誰の目にも明らかだよね…ナンジャコイツスゲぇなって。

 

自分のそれ(にいがったフレンド!)を恥じたり、こんなんでいいのかな…って不安に思うこともあるかもしれない。

こんなのがいったい何になるのだろう…って。

 

でもにいがったフレンド!で間違いなくトップ目取った清司麗菜だ。

 

菅原りこと並んで最も出演回数の多いのが清司麗菜だ。

そんな菅原が選ばれていないにいがったフレンド選抜だって、ロッチたちが選ぶのであれば良いけれど、そうではなくてまともに観てないようなどこぞの太っちょが適当に決めていたりもするのだろう、しかしそれですら、清司麗菜センター!抜擢なのは誇りを持っていいレベルの、まさにこれこそがAKBではないか!って、なんてAKB的なんだろうって、(川栄李奈ノハステトワステモソウダッタ!)こーゆーバラエティ的な遊び方と楽曲の(一見すると世間的な目から見たらふざけているような)融合こそ、AKB的ではないか!

 

間違いなく「コピー能力の高さ」は抜群に素晴らしいのだから、実は女優なんてたとえ興味なくても須藤凜々花のように「はったりかまして」でも目立ちに行こうとする姿勢が彼女にはまるでまだ足りないし(走るどころかシューズ選んでるんだもん。。)、逆にその攻めに行く姿勢が現れた時(シューズ選びを終えて「よっしゃ!走るぜ!」って。)、NMB48の内木志の甲羅おろしじゃないけど、おっ、清司本気になったか?ついに始動か!?って、ファン、ヲタの気持ちを沸かすことができる。

 

最初に述べたように、そもそもが素人の普通の女の子だから…

 

なかなか勇気が出なかったり、どうやったらいいのかわからなかったりで、見えないことも多々あるかもしれない。

 

それでも、自分に備わっているその才能「直感的表現力」を武器として女優目指して猛んで気張って名を挙げてほしいものだ。

 

せっかくの1期生特権を得ているのだから、無駄にせずに存在感を存分にアピールしてほしいと思うよね…

 

清司麗菜、いよいよそろそろにいがったフレンド!を飛び越して。

 

好きな言葉は、「勇気は一瞬、後悔は一生」