須藤梨凜々花が夢の跡…NMB48のラストピース「りりぽん」の名場面!
そのピースではない。
クラッシャーの分際の如きがピース(peace)のワケがないだろう?
みんな大好きワンピースと同じピース(piece)だ。
ちなみにりりぽんも大好きなpenisは「ピーニス」だ!
どうにも最近アイドルバラエティについてのキチガイめいた感想文ブログに成り下がってる気がして、いやいやいやちょっと待てと…もともとはハロプロの頃はもっと歌や踊り、楽曲の数々を見てきたではないか…と。
そこで無理から「NMB48のうたコン」感想でも書こうと思い立ち…
しかし無理でした。。
AKBってのはしかしまあなんでああも見どころが無いのやら…不思議で仕方がない。
ヲタら限定で内に篭ってやってる者たちと、少しでも外へ向かおうと努力している者たちと、ダンスの先生と一緒に麻雀やってるような者たちとの違いが出ているのだろう。意識の差が歌番組を以って感じ取ることができる。別に世間の連中たちもただ悪口が言いたくて「下手くそ~下手くそ~」と言っているのではない。然るべき理由があって言われているということだ。
そんな話はど~でもいいんだけど音を消してNMBの振りミスやらかしの舞をボケ~っと眺めていてふと気付くのは…
あぁ、そうか…薮下柊はもういないんだなぁ~…って。。
改めて矢倉楓子も上西恵も渡辺美優紀も、木下百花も誰もカレもとかつてのNMB48の興隆期を彩り飾ったスター(候補生)たちは、もういないんだなぁ~…って、三等星四等星みたいな鈍い薄暗い今のNMBの輝き観を眺めていて今さらながらに改めて強く感じてしまった。
このメンバーたちでしばらくは戦っていくことになるのだな~…という解答編。
たとえばドラゴンボールは孫悟空とかベジータとかフリーザ様とか魔人ブロリィとか、あーゆー常軌を逸した行き切った超人たちのバトルが面白いのであって人気があるのであって観る者を魅了するのであって、クリリンやヤムチャの物語「だけでは」キツイ…。
あーゆー人気者の超人たちがいて(気持ちの悪いアイドル的に言えば「キラキラ輝いて」)、そうではないクリリンや天津飯の地味な物語も、ありになる。みれる。成立する。味が出る。しかし彼らだけでゴチョゴチョやっても、キツイということだ。
例えを以ってアニメとアイドルを融合しちゃってるキモの二乗感はさておき、今のNMBは栄華を極めた?第一章興隆期を過ぎて終わり幕を閉じ、クールダウン中のひと時のつかの間の休息タイム、第二章の幕開け前、ネクストスター(フリーザ様やセル様なんかの)待機状態なのだなぁと気付かされるのだ。
NGT48のうたコンを観た時、世間一般視点では「別に?」なところ、やっぱり小熊倫実とか荻野由佳とか観ていると「楽し気」とか「面白味」「風格」「別格」「勢い」「勝り」「味わい深さ」みたいな深みが感じられて、一応アイドルというテイでやってる女子らとして見るならそれはそれで見どころもあったけど、今のNMBにはそれが無い。(もちろん卒業間近の偉大なるキャプテンは除く。)
太田夢莉なんかもまだ自信無さげで弾けきれていないし観ているこちら側を辱める雰囲気は残念でならない。それが彼女の個性で性格なんだからいいじゃない!というのであれば彼女は素人庶民派のクリリンの側になってしまうけど果たしてそれでいいのか…と。
それでまた戻って、ああ…薮下柊や…なんやかんやはもういないんだっけ…。
みるきーこと渡辺美優紀なんかは計画性を以って自らの意思と意図で早々に引いていった様(サマ)はある種「絶大な人気を誇る」アイドル女子としての引き際の在り方を学べる教材的卒業だったし、みる目の長けた暴君百花は言うに及ばず、薮下柊なんかについてはこのブログで散々「アイドルは2、3、4、5年くらい適当にやって笑顔振りまいて今が旬!のピークのいい間で『ほんじゃバイナラ~』って去って行くのがアイドルとして綺麗で美しくてカッコよくて良しである。」と述べたように薮下柊もダラダラダラダラおばちゃんにまでなって無様に続けるのではなくいい間で「ほなさいなら~」って綺麗なままで卒業した素晴らしき存在感、残り香を残して美しいままで卒業した、にもかかわらずいざとなると「薮下柊いないのかぁ。。。ナンデヤネン。。」なんて思ってしまう不甲斐なさだ。(それほどまでに彼女たちの存在感は別格で際立っていたし、上のドラゴンくんだりで言えばやっぱり悟空やベジータが「今後一切作品には出ません!」って断言されちゃったらみる者たちは誰もが『ええ~!?』ってなるのと同じでもある。楽し気を欠く虚無感だ。)
山本彩が卒業することで「NMBしゅ~りょ~www」はただ言いたいだけの病的愚民らのセリフでしかないけれど、NMBの第一章のあの輝かしい日々を知るオタクらあるいはファンであれば無意識のレベルでも「心許なさ」を感じているものだ。光のpieceがまだ足りていない。まだ全然ないという心許なさ。どんなに擁護的なコメントで満たしたとて芯は変わらない。いないモノはいないのだ。
今いるこの三等星四等星あるいはクリリンヤムチャたちメンバーでしばらくは戦っていくことになるという解答編。
ある日突然「実は黙っていましたが…2期生に姉光薫というメンバーがいたのでした!」『おおおおっ!』とはならないんだよね…。
ある日突然イジリーが「ふっふっふ…そろそろ本気を出そうか…」なんて言ってマスクを剥いで実はめちゃめちゃ一等星級のスターだった!!なんてことにはならない。岡田じゃなくてね。
今いるこのメンバーたちで…って。
SKE48は一応10周年の今年「大勝利」で華々しく飾って勝ち得たけれど、NMBにも10周年が来るわけでその時彼女たちに何ができるのだろう…って。まさかYNNでクラッカー鳴らして『おめでと~♪』で終わるわけでもあるまいに?
総選挙の場であろうとなかろうと、秋元Pも黒幕たちもちゃんと記念の舞台を何かしら用意してくれる。それがハロプロ的にただ単にポンっと与えられるステージなのか、SKEのようにバチバチする戦場かはわからないけど、黒幕たちはきちんと舞台を用意してくれる。
今いるこのメンバーたちに。
別にその他大勢の地味に頑張るクリリンヤムチャをディスるコーナーではなくて、「逆に何が違うんだろうね?」って、そこをあえて考えることで彼女たちスター(候補生)とクリリンヤムチャ勢との差、違いを思い知ることが出来よう。
別に可愛い子探しをしているわけでもない、同じ猿型で目が2つあって口があって鼻があって手が2つあって足が2つあって立って歩いて頭が付いててどいつもこいつも黒い髪が付属していて同じような格好をしていながらにして、それでも秋元P及び黒幕たちは「この子だぁぁ!!。。」あるいは目の肥えたファンやオタクらが『この子だぁぁぁ!!!』って、違いを察してピックアップする、それは何の違いによるのだろう…って。あの日の国民的人気者となったAKB48を彩るメンバーたちと、今のSKE48のメンツらとを交換したらどうなるだろう…アレとかソレとかスダがいて、国民的アイドル~キャーキャー♡可愛いよ!かっこいいよ!素敵だね!!
…ってなるのかな…?
秋元Pが前田敦子じゃなくて「センターは田名部、キミだ!」って言っていたらどうなっていただろう…田名部さんゴメンナサイ。。
まあそれはそれで以外とどうとでもなってしまうんだろうね…モーニング娘。の黄金期とか今観て「よぉこんなもんが売れたな?」って、思うよね…。時代の流れに合う、乗るってそんなもんだよね。。。
それで須藤凜々花の話をすると…
NMB481期生と(かなり早くに加入した)2期生とで、苦労話も絶えない土台作り期を経てその上にズカズカ上がり込んできた3期生4期生とドラフトとで、ここまででNMB48の最初の大きな物語の大段落(くくり)とすることができるその中に、須藤凜々花の加入を以って最後のパズルの「piece」が須藤凜々花の登場だったのだなぁ~と感じ入る。
ほぼ出来上がっていての最後のpieceなのでいてもいなくても別にいいけどやっぱりそこはきっちり全pieceをバチィぃぃっ!!っとハメ込んでパズル(絵、世界)を完成させたいではないか。あの日の山本彩が須藤凜々花を引き当て勝ち取ったあの瞬間に。
須藤凜々花が在籍していた頃に、薮下柊も上西恵もあれもこれもと偉大なレジェンドさんたちは卒業していったけれど、それでもそう、まさに「ドリアン少年」の頃は興隆期の輝かしいNMB48のキラキラ輝くパズルはキラキラ輝くスターたちで満たされてキラキラ輝きながら完成し維持していたではないか!
ということでそんなラストピース「りりぽん」の名場面集第4弾を開幕することにする!