AKB48×ハロプロ 現代アイドル読解学

今をときめくアイドル達の輝きとそれらを取り巻くヲタらの生態を研究・観察していきま~す。

AKB総選挙2018・23位!~アイドルってなんやねん?…って伝えてよ!~

NMB48:太田夢莉

【速報】32位!

【結果】23位(33012票)

あとがき一覧 

 

完全に忘れてた人。。

前記事のりりぽんだワンっ!のくだりに登場してて「あれれ?そー言えば!?」なんて思い出した人。

須藤凜々花の20位を超えることは無かったけれど、票数としては2000くらい上回ったのかな…ここちゃんへ向けられたりりぽん砲の若干のおこぼれもあったかもしれない。結局新規ファンなんて早々容易くつくものではないからして内輪の中でとっかえひっかえやるしか術が無い。それでまた内に篭った活動を展開しているNMB48だからSKEとは違ってなかなか新規獲得が難しい。アイドルなど興味のない者すら巻き込める力のあった須藤凜々花は麻雀番組通して多くの著名人や(主に麻雀好きの)オッサンらを魅了し引き付けはしたものの、内輪の中だけでAKB的総選挙を頑張るってNMBでは限界があることがよ~く表現されたシーンとなっていたね。

何が面白いって、54位の内木志から、この23位の太田夢莉まで、

ずっっっっっっっっっっっっっっっっっっとNMB48メンバーがランクインすることなくずっと無音のままの時を過ごしていての、「23位、太田夢莉!」『…』なところが興味深いという意味で面白い。

ホントに今年はNMBメンバーが哀れで惨めで恥さらしとなり晒し者となった総選挙でもあり、またそれは彼女たちに問題があるのではなくてNMBヲタらのやらかしだったということだ。まるで彼女たちが頑張っていない、不真面目で評価されていない、人気が無い、ではなくて、ヲタらのやらかし、ただそれだけの事。

 

それで太田夢莉の話をすると、この人はなんてハロプロ的な女の子なのだろう…と常々思う。道重さゆみっぽくも映る。

ハロプロ的なアイドル路線で上手くできる子、上手くやれる子、光れる子。

AKBグループってものは超個人戦で芸能界のし上がり成り上がりバトル対決物語という要素が色濃いため、「やったんで!」「とったんで!」の強い気持ちや目指すべき志なんかを持っていない者にとっては退屈でやりようがない、単なる劇場の踊り子オチや秋元Pの資金源握手オチを脱し得ないで散るしか術が無い。

常にわかりやすい例として須藤凜々花がいてくれることが嬉しいわけだ。

哲学麻雀ラップ、自分のやりたいことを存分にやってやって、芸能人、芸能生活をおう歌しているメンバーあるいは「ゆいりー」みたいに「私の居場所はここ!」って決めてそれに全力で取り組めるメンバーこそ、AKB的アイドルの勝者となるのだから、「夢、AKBを踏みつけてステップアップするための第二ステージ」を持たない者にとってはあれやってこれやってと与えられるものをただこなして何もかもが中途半端な半端モノの負け組でいるしか術が無いということだ。

 

太田夢莉もまさにそっちへ寄っている子なんだけど、さあ、困ったことに、彼女は美的面に優れているという点が目を瞠る。

最後、ブレたのをあえて載せたのは、それが一番心魅かれた「おおっ!?」という一枚だったから…朝ドラのヒロイン、そう、まさに「ヒロイン」という言葉が似つかわしいロリではないスタジオジブリ初期作品なんかの主人公、強い女の子的な愛らしさ、凛とした魅力が伺える。

須藤凜々花に言わせれば「カ~ワ~イィイ~♡とか言っちゃう奴は総じて気持ち悪い」とのことだが、太田夢莉の魅力はそのカワイイとは一線を画す清々しさとか爽やかさとか、透き通るとか、透明感があるとかそーゆー一つ二つ突き抜けた心地良さがある。根っこはめちゃめちゃお篭り系なのに…。そのギャップがまたいいのかもわからんね?

序列や順位付け握手漬けなどない「清々しく爽やかにアイドルアイドルしてるだけで良いハロプロ」が、良く似合うまさに典型的なタイプで、(常に悪口ではなくて)太田夢莉は「やったんで!」「とったんで!」を持たないあるいは秋元Pの言うところの「芸能界に固執しない人」とか「AKBを踏み台にしてステップアップしない人」にあたるので、AKBよりもハロプロで光れるアイドルだったね…って。

 

常にこの手のタイプを語る上で注意すべきことは、やる気が無いとか不真面目とか態度が悪いとかそーゆー話ではないんだよね。

これもまたわかりやすい例としてSKE48の「須田亜香里」みたいに、がむしゃらに、恥辱にまみれることを恐れずにさらし者になってでも目立ってやる、人気を得てやる、勝ち取ってやるんだって、そーゆー強い気持ち、なりふり構わず「所詮は何の取りえも無い能無しの素人の分際」が、それでも芸能界で有名になってやる!成功してやるんだ!って強い気持ちを発揮してぶつけて表現してプロレスして戦うことを、太田夢莉は恥ずかしさや人目を気にしたり、オタク系の内面世界がそれをさせなかったりとストップ掛けたりして厳しい、この点が欠けている、がしかし美的面はアイドルとして強みとなるだろうからハロプロだったらよかったね…って。坂道とかでもありなのかな。

挑戦魂に欠けてるんだよね、要は。

できることならやらないでいい方でお願いしますぅ

やらないでいいならやらないですぅ

平々凡々と慣れ親しんだ日々同じ作業的活動でいいんですぅ

これがどこぞのグループの山田みたいなもんが言おうものならアレだけど、繰り返して言うと美的面が優れている太田夢莉だから、アリになるというアイドル的仕組みが見て取れる。

ここが、彼女のもう一つ突き抜けて人気を得ない点であり、(運営作り手ファンヲタ含めて)もう一つ大きな推し込みが無い部分でもあるのは、これもまたSKE48の「天使江籠ちゃん」とも似ているかもしれない…似ているというかそっくりか。。

 

で、そもそもが、アイドルって本来そうだよね?

ってところで、アイドルが崖登ったり洞窟這いまわったりプロレスやったり弓道やったり武装障害走やったりすることの方がおかしいはずで、AKBグループのやりたいことと一致してないアイドル達は無下にされる傾向がある、…まさに江籠裕奈と同じ属性だ。

このジレンマは実はヲタら側にもあって、すべてのAKBグループのファン、ヲタがAKB的やり方に納得いって満足いってるわけではない豆腐プロレスを絶賛しているわけでもない、ハロプロ的に全国各地を駆け回って歌って踊ってアイドルアイドルやってくれたらなぁ…と思う者も多くいる。

それでまた面白い現象として、ここが何よりも面白い部分で、SKE48ってグループは、今もなおおばちゃんたちが居座り熱くて汗臭い泥臭い熱血ド根性路線で突き進むわけだが、NMB48はそうではない。

太田夢莉的フワフワヒラヒラキャフフ♡なアイドルチックな女の子女の子ニャンニャン♡路線へと傾倒してきている。

木下百花の卒業理由に語られた「須藤凜々花の卒業を以ってNMBが変わっていく…」とも合致する。

※この辺の木下百花のみる目は素晴らしいし、あるいはじかに共にグループ内で活動していれば容易に感じ取れる空気感に過ぎなかったのかもしれない…しかし、それをちゃんと感じ取って、自身の役目の終わりを悟り、そこでしっかりと卒業している点が、どこぞのオバチャン集団との差が垣間見れてカッコいい、素晴らしいと思えるのだ。数的なことはさておきこれはこれで変人丸出しだったけど一部のジャンルの人たちからは妙に愛され人気のあったメンバーだった…。居座ろうと思えばいくらでも居座れたがしかし、「自分は第二章の登場人物にはいない、ではない」としっかりと見抜き、卒業したということだ。

 

変人でズレた話を戻すと、SKEとNMBの第一章は同じ属性の熱いド根性物語であったけれど、第二章で両グループは別々の展開を魅せそうで面白くもある。

どっちが正解とか、そーゆーことではないんだよね。

これもまた秋元Pの言葉で

「AKBは生命体となってボクの手から離れていった」

からわかるように、もはや自由に変化して彼女たちアイドルたちの手でいくらでも変えてやっていいということなのだ。

ハロプロをみていて退屈だなぁ…AKBはいいなぁ…と思う点の最たるものがここで「自由度の高さ」であって、また最初に戻ってしまうが、「やったんで!」「とったんで!」と、この自由度を活かして挑めるチャレンジャーこそ、AKB的アイドルとしては光れる。

その一方で、NMB第二章がハロプロ的なアイドルアイドルしていく方向になるのであれば、案外太田夢莉が再度ピックアップして台頭してしまうことだってあり得る。

 

という、面白さ。

神志那結衣の段で、神志那結衣を見てからSKEアイドルとか観たら劣化エゲつない…

なんて書いて怒られる…かと思いきや大爆笑獲得してしまったことがあったが…

太田夢莉からの「りりぽん」を見ると、りりぽんすら劣化させる煌めき感エゲつない美的面はやはり凄い魅力と武器なのだとわかる。

 

だからこれで思い出すのは…

高校サッカー界の歴代最強にして他の追随をいまだに許さない天才とかつて呼ばれていた「平山相太」とも似てるんだよね…

持ってるモノは素晴らしい、とてつもない、とんでもない、常軌を逸している、天才的な魅力、天才的な武器、天才的な才能。

しかしそれを持っていながらにして、メンタル、精神面で(弱いんじゃない)強くないから、「やったんで!」「とったんで!」に大きく欠けてしまうから、大きく飛び抜けて弾けずに散るしか術が無いという「天才的にスゴイのに…」今一つパッとしないで散るという、須田亜香里みたいなものに負けてしまっているという現象は、菅原りこや江籠裕奈太田夢莉と、サッカーの隠れレジェンド平山相太の優しすぎるめっちゃエエ子の物語とだいぶ似通ったものを感じてしまう。

例えばNMB48歌番組出演!煌びやか!華やか!いいねいいね!可愛いよ!

あるいは今のSKE48のようにテレビにたくさん出まくったり映画撮ったり積極的に外へ向けての活動が展開される時、ブワァァァッとグループにスポットライトが当たり人気と名声を得ていくその中にいて、太田夢莉はその勢い、パワーに押され負けてしまうんだよね。その流れをつかめない、その勢いに乗れないという弱点。グループが、じゃなくて彼女自身一個人が。作り手が気を使って

「よし、太田、次キミ行ってみようか!」

って言われると

「あ、大丈夫で~す」

「私は間に合ってますので」

「後輩ちゃんに譲りますのでどうぞ~」

って、逃げちゃう。

中井りかのように先輩後輩同期に(例えば)蹴りを入れてまでして「私が目立つんだ!」っていうような力強さが無い。覇気の無さ。芸能界への固執、執念。

 

それで、江籠裕奈の段でも書いたこととして、そーゆー天才的な美的面持つ女の子がやる気を起こして「やったんで!」「とったんで!」の戦意高揚となって全力で勝ち取る姿勢を繰り出した時、めちゃくちゃ面白い展開が巻き起こるんじゃないか…という大いなる期待が湧くのだがそれは情熱ド根性熱血スタイルのSKE48江籠裕奈だからの話であって、ヒラヒラフワフワニャンニャン系女子アイドルNMB48第二章においては、むしろぽわわ~んとしている太田夢莉のターンが自然と自ずと巡ってきて、勝ち得てしまうかもしれない…という面白さがある。