AKB48×ハロプロ 現代アイドル読解学

今をときめくアイドル達の輝きとそれらを取り巻くヲタらの生態を研究・観察していきま~す。

モーニング娘。真の再浮上と、AKBグループへの再逆転を魅せ付けた10期生飯窪春奈の卒業コンサート!

だいぶ今さらになってしまいましたが…モーニング娘。10期生飯窪春奈の卒業コンサートが教え伝えてくれたモーニング娘。真に再浮上の現状とAKB勢を再逆転した真実の証。

モーニング娘。'18飯窪卒業コンサートだぁぁ!!

って盛大にやっている、一方その頃AKBは…という。

クリスマスイヴ、恋人と過ごす甘いひと時…一方その頃無様なヲタらは…と似た対比遊び。

 

ここで言う「再浮上」「AKBに対して再逆転」とは、人気云々ではない。数字の遊びなどではない。そんなものはど~でもいい。大多数の見る目の無い庶民やネット上の愚民らの数バトルなどあてにしてはいけない。

かつて道重さゆみ率いる14娘の頃、フォーメーションダンスガーフォーメーションダンスガー言っていたとてそれらは身内のハゲヲタら限定でウケていただけで、それはそれはダサいショボくれた無様なパフォーマンスだった。ハゲ散らかした爺さんたちが「いいね!いいね!カッコいいよ!」と猛んでいたに過ぎない実際はダサい寒いカッコ悪いパフォーマンスだった、事は今当時のいくつかのダンス場面を観れば容易に理解できよう。

テレビ出演の多さは凄まじかった。これを以って「再浮上」を掲げる傾向が見られたのは確か。道重さゆみという有名人効果によって、14娘はかなり多くの有名どころのテレビ番組に出演していた。しかし悲しいかな、当時まだ熟しきっていないその他のちびっこ後輩ちゃんたちは、テレビに出ても何もできずに散るしか術が無かった、ただひたすらに道重さゆみ頼みのトーク場面が多く、せっかく出れていても悲壮感はぬぐえない、やることなすこと言うことすべてがトンチンカンで笑いに繋がらない、ホントはもっとできるはずなのに!(そう、彼女たちの身内向けDVDではもっとできていたのに…)テレビとなると縮こまって無様になるのは経験値の不足でしかなかった…当然と言えば当然か…9期10期は中学生とか高校生ばかりの普通の女の子たち。。

確かに「露出力」は間違いなくドン底期から比べてとんでもなく突き抜けて脱した感はあった。

しかしそれらで披露される「表現力」の、まだまだパフォーマンス部門とテレビ部門のどちらにおいても「クオリティ不足」で、素人芸のダサさ、遥か昔で云うところの「ハロプロは歌がド下手」の延長線上でしかなかった。

 

時を経て…

ラストレジェンド道重さゆみの卒業、ネクストドア~の鞘師里保鈴木香音の早期離脱を経て、むしろ今、タレント性皆無のどいつもこいつも皆同じみたいな面白みのないむしろ今、まさに今のモーニング娘。がついに、あの日成し得なかった真の再浮上とAKB48台頭によって蹴落とされた仕返し、再逆転をやってのけてしまった。

 

何を以って再浮上、再逆転と言えるのか?

 

観れる聴けるクオリティに達しているということ。

洗脳されたヲタ目線とヲタ心ではない、世間一般普通の人彼女たちのことを知らない人でも普通に観て聴ける(作品自体の良い悪いは各々で決めればよい、曲がダサいとか衣装がダサいとか歌詞が寒いとか振り付けがダサいは各自で勝手に感じればいい)レベルであるということ、やってる披露している表現しているアイドル女子の娘。たちの技量観、パフォーマンス力は、間違いなくチケのつけようがないハイクオリティへと昇華されているとわかる。

アイドル女子あるある、寒い、臭い、ダサいと見下す…ことなどできやしない、少なくとも今の娘。たちにそれを言ってしまってはただの見る目の無い駄馬に成り下がるか頭のおかしいアンチになるしか術が無くなる魅せ付け、オーラ、別格感が際立っている。

 

ここまでたどり着いたのか…と。

 

あの日はしょ~もないショボくれたフォーメーションダンスも、試行錯誤改良されてまたパフォーマーのアイドル達も「鍛錬を重ねて(そう、AKB勢が総じて怠っている鍛錬だ!)」クオリティを間違いなく上げた。観れる作品に仕上がった、しっかりと仕上げてきた。

やってる連中らがあの日の14娘。の残党らであるからしてそりゃ長く続けていればうまくもなるわ…というのは、AKB勢と比較すれば、その当たり前のことをきちんと怠らずにやってきた彼女たちを称賛しても良いだろうし事務所のブレることのない方針も素晴らしいといえよう。

いち個人個々の能力を観た時(バースデーイベントなんて大それた企画をやっている彼女たちはみな、既にソロ歌いのレベルがバレている)、要練習は変わらないが大切なことは、「群れでやってるから卑怯」「1人で出てこいや!」は的外れなご意見・ご感想でしかなく、「モーニング娘。」というグループでやっているのだから、そこは、「飯窪春奈withモーニング娘。」ではなくてモーニング娘。でやっているのだから、グループでのパフォーマンス、魅せ付けであればまずはいい、グループのパフォーマンスとして「グループ力」を魅せることが出来ずして、個々で何が出来よう?

AKB勢には耳の痛い言葉だ。

 

あ、もりとち…やっぱり可愛いなぁ…

 

ではない。

見栄を張っての盛大なコンサートではない。

卒業コンサートだから張り切っているのでもない。

ハロプロは常にこうやってきた。

大きな会場、大舞台、多くのファン観客に囲まれて、自然と高まる「プロ意識」、やるべき課題、鍛錬することを怠らないこと。

この大舞台に立って恥じないクオリティであること。

口パクでヘラヘラチャラチャラタラタラ動いてるだけのAKB勢との大きな差を感じ取ることができる。

 

しゃべり、バラエティに関しても、そもそも「センス」はラジオトークを聴けば大抵わかるもので、AKB勢の思考皆無の本能のままにくっちゃべる素人丸出しトーク集と、なぜか遥か昔らか「ラジオトーク」を重視してやってきているハロプロ勢は、強い。なぜか不思議と、テレビラジオ、面白くすること、バラエティ的活躍を「意識できている。」「意識付けている」

それで結局14娘。リーダー道重さゆみに頼りきりだったその他大勢の後輩たちも、20代前後の女性となって度胸もついてやり方も覚えて、前に出れるようにもなったもんだから、見事に化けてしゃべれるようになった。道重のような才あるトークではないが、まずは基本中の基本「心地良いキャッチボール」「言葉のシャワー」を手にしたと言って良い出来栄え。

音楽番組、ユーモアを交えながら「音楽的見解」「楽曲の世界観」についてトークしたり、サマになるのは彼女たちモーニング娘。がまずはきちんとハイクオリティ、プロフェッショナルであるから。あの日のダサさ、寒さ、臭さが今では微塵もない。道重さゆみ時代の「音痴いじり」「だれだれちゃんダンスが上手で~」など欠片も無い、淡々とした大人なトーク

後ろで聞き入るSKE48と総選挙1位様様の松井珠理奈の哀れな姿この上ない。

 

ここまで来たのか…あの日の虫けら娘。たちが…たどり着いたのか…と。

 

いかにも自分の手柄のように偉そうに語っちゃって書きたてたとて、大切なことを忘れてはならない。

努力を怠らずに懸命に鍛錬し続けたモーニング娘。の現役メンバーたちの素晴らしきを称賛すること。

本当にスゴイよ、ガチで10代の青春時代をこの活動にかけ、かけてやるからには手を抜かない、全力でやるという選択肢以外にないと心に決めて本気で取り組む姿勢。それがしっかりとパフォーマンスや表現の場でついに、むしろ今、しっかりと現れ出ている。

あの日の、身内だけで「再浮上!再浮上!」「さゆみん!かわいい!」とか言っちゃってるだけの頃とはまるで違う、風格。

マツコなんかは悲しいかな、興味を失いつつあるようだが(彼?彼女が鞘師と鈴木香音を推していたそれらの卒業の痛手もあろう)、確かに個々に目を向ければ面白味の無い連中たちだ、どいつもこいつも虫けらみたいなしょ~もないヤツらかもしれない、でも秘めたる能力と努力によって手にした開花は今真に、向き合って見てあげて称賛してあげるべき貴重ないち場面にモーニング娘。はいると気付ける。

 

 

一方その頃AKB勢の紅白カラオケ合唱合戦。

あ、つぐつぐパーティーだ!やっぱり小熊倫実は可愛いなぁ…

 

ではない。

どいつもこいつも「歌がド下手」だとバレてしまった無様な女子らの合唱コンクールだ。

今までやってこなかったヤツらが、韓国様様の見よう見まねで真似たとて、韓国様様の審査員様様たちも言っていたではないか?

「今まで何をやって来たの?」

「5年10年とやってそのレベルなの?」

からもわかるように、またチャレンジした彼女たちAKBアイドルも痛感したように、やっぱりビックリするくらい「へたっぴ」なんだよね。

ホントにこれらの正体は握手してCD売るしか能の無い集団なのだと気付かされる。

少し前のこといつだったか、AKB48の、16期研究生が、劇場公演で、彼女の歌割りパートのところうっかりしていて歌わなかったんだよね。歌わないでニコニコ笑顔で踊っていた。するとさあどうだろう?彼女たち恒例の「口パク芸」なもんだから?何が起きよう?難問だけどわかる人いるかな?

彼女は歌っていないのに、どこからともなく彼女の歌声だけが聴こえてきて…。公演後の反省で彼女は「もっと頑張ります」と述べ…。頑張る箇所ちがくね?と誰もが思うところ、これが如きなんだよねAKB勢のパフォーマンス力ってものは。研究生のその子が、ではなくて、どいつもこいつもみなその程度という現実。

 

ハロプロから、AKBを観るようになって、もう一度ハロプロへ戻ってみると、嫌でもわかる歴然とした差。

そんなワケないじゃん!

って、実際自分は思っていたよ、信じていたと言っても良い。

でも、やっぱりどーしょーもないほどに下手くそだったんだよね…。

それは上で述べたように、鍛錬してないから、意識してないから、練習すらしていないから、出来るわけがない。

この記事を読んでるあなた、そう、あなた、あなたが、例えば明後日ヴァイオリンを弾いてキラキラ星を演奏しますよ~チューリップを演奏しますよ~カノンを演奏しますよ~言われて、ヴァイオリンを買ってきて、慌てて練習して、付け焼刃的にやって、さあ披露の場面でどのくらいできようか?ドレミファソラシがかろうじて出ても、その演奏力、表現力という点で何を魅せて聴かせられよう…。それと同じ。やってない者が出来るわけがないのだよ…と。

稀に偶然たまたま「あなた」が、ヴァイオリン「経験者」で、他の初見素人たちよりかは上手く出来るなんて、そんな人もいるかもしれない。AKB勢の「だれだれちゃん歌上手~」「ダンス上手~」ってのは大抵概ねその程度のものでしかない。ガキの時分の習い事の財産でやってるだけのことでしかない。

 

ホントにAKBってのは秋元Pと黒幕たち大人たちが、何のとりえもない素人女子らに楽曲与えて歌わせて、テレビとラジオの仕事を与えてやらせてるだけの団体だったのだな~と気付かされる。

だったらせめて恋愛くらいはグレーゾーンにして自由にやらせても良いだろう。秋元P自らでグレーゾーンを敷いてくれたのだから、アイドル女子らで上手くやればいいだけのこと。

 

凄く面白いのが、もともとは、現代アイドルグループにおいて「歌がド下手」はハロプロアイドルに向けた悪口だったのに、AKBというもっとデキの悪いのが台頭してくれたおかげで、またハロプロ勢の努力怠らぬ姿勢と、「基本、どんな時も生歌でやる!」という事務所の貫かれた方針とで、見事にこーゆーカタチで再逆転したモーニング娘。とAKB48の差を、飯窪春奈の卒業コンサートと、一方その頃のAKB紅白歌合戦とで照らし合わせてどんな馬鹿ですら容易に感じ取ることができた場面に出くわせる不思議体験となった。

 

「頑張ってる姿が~」

なんて言葉は金儲けを企む大人たち黒幕たちが使う言葉であってそれをヲタらが真に受けちゃって良しとして使っているような、深い闇をそこに感じるのだよ。

これが如きに、鍛錬を怠ることなく精進してきた娘。たちが、負けてるはずがなかった。

リハゲネ一日14、5時間熟して鍛え込む、一方その頃AKBは…オッサンどもらの手を握って、そんな者たちが趣味感覚で歌って踊って好かれるはずも無かった。

ヲタらの大好物人気云々売れた売れない数の遊びはハロプロ勢の大人たちが売り込む度合いで気合で頑張ればいいだけのこと。現状維持ならそれまでだし、もっと前に出る!って意気込みがあるなら大なり小なり仕掛けて然るべき。海外アピールも良いが国内を無下にしては良くないだろう。

大切なことは、やってる女子らアイドル達が「魅力と能力を兼ね備えたできるヤツらに仕上がっている」どこに出しても恥ずかしくないハイクオリティであるという、偽物ではない、中身がきちんと伴っている娘。たちであるということ。