同じ釜の飯を食った仲間はいるか?
中井りか×浜ちゃんが!のつづき。。
中井りかの「NGT48仲悪いっすよ」発言などいくつかの発言についての解説
は、する必要はなさそうだ。
多くの素晴らしき自警団の皆様たちがしっかりと述べてくれている。
街中で歩きタバコしてる連中、ポイ捨てしてる連中、ルールを守れない馬鹿どもに対してほんの少しの悪すらも許さないナイスディフェンスしてくれる正義の使者がそれらを許さずその場で見つけ次第説教してくれるのと同様に中井りかの問題発言を取り上げて盛大に語ってくれている。
なるほど…
日本が平和なのはこういう人たちがいてくれるからなのだと気付かされる。
さすが…日出国
悪を照らす日が出まくっている
ということでここでは、アイドル達の視点で見ていきたい。
結局これで大切なことは、視聴者のご意見・ご感想などど~でもよくって、視聴者がどー感じたかなどどーでもよくって、あるいはヲタら、あるいはNGT48のファンが何を感じるとか、それすらどーでもよくって。
大切なことは常に、演じ手であるアイドル達に潜む。
田中れいなも良く言ってたね…「これがれいなやけん(笑)」「これが自分のやり方やけん。」「れいなの性格やけん」
…
あの日のお正月のshowroomで、自分は「久住小春のようだ」「田中れいなのようだ」と述べた。
AKBで言うところの…
で、出てこないんだよね…
過去含めてすべてのメンバーを知り尽くして網羅しているワケではないけど、AKBでこのパターンいるのかな?
それでもう嫌というほど目にするのが「指原と同じ」という言葉だ。
指原と同じ性悪
指原と同じ手法
指原と同じ路線
指原と同じ流れ
この手の「指原と同じ」という中井りかに対しての述べを各種サイトでたくさん目にすることができる。
でも自分はまるで同じとは思えない。
人柄が同じ?
心が同じ?
売れ方が同じ?
戦略が同じ?
ファン層が同じ?
自分が常に指原莉乃の芯の在り処について思い浮かべる重要な場面がある。
彼女はちゃんと、登ってるんだよね。
あの日ちゃんと登れてる。
1人で登ったのではない、みんなで登っている。
指原が登ったのではない。6人が登ったんだよね。
山に登る時、邪悪なものが露になる。
化けの皮が剥がれる。
偽はすぐにバレる。
嘘はすぐに見透かされる。
指原と、他の5人との意思疎通に、邪悪なものは一切ない。
なんでこのメンツの中に、宮崎美穂がいたのだろう…
こっちの勝手な想像でしかない。
当時「狂犬」を演じていたがしかし、瞳は澄んで美しい心を持っている証明による感動的場面の演出…
そんな結果論丸出しの先読みを作り手ができるはずがない。
でもそれで良かった。
結果的に仲間、絆、友情、愛情、チームワークのどでかい表現に一役買ってくれた。
指原にも同じことが言える。
その後の彼女がどんなメッセージを発して何を言ったとて、ここへ巻き戻って山登りを観れば、彼女の芯が理解できる。
指原がどんな人物で、周りの仲間たちをどう思っているか、どう思われているか、どんな仲間たちに囲まれていたか?
どんな仲間の一員として指原が存在していたか?できていたか?過ごしていたか…
同じ釜の飯を食った仲間たちがいるという事実。
芝居ではない。富士山登る映画の撮影しているのではない。
指原の発言がどーだ。売れ方がどーだ。やってることがどーだ。そんなことはどーでも良い。
その後の歩み方や彼女が起こす出来事、降りかかる出来事など問題ではない。
彼女にはちゃんと仲間がいる。一方的なものではない、仲間。
受け入れてもらえている仲間。相手の視点から見ても「指原が仲間」であると。
基本中の基本中の基本が、ちゃんと出来ている。
人が生きていく上での「大切なモノ」がちゃんと備わっている。
からこそいる、仲間。
「荷物重かったら持ってあげるからね」
って、言ってくれる先輩(仲間)の愛情を、感じて歩いている。
みんなで登れた時、泣いて喜ぶ先輩(仲間)が傍にいる。
他愛もない話をして手をつなぎ共に歩ける同期(仲間)がいる。
自分の手を差し伸べて支えなければならない愛する後輩(仲間)がいる。
中井りかには、同じ釜の飯を食う仲間はいるのだろうか?
そこに思いを馳せる必要がある。
NGT48からスタートした彼女は、大切なことを見過ごしてしまったのではないか…
ホップ、ステップ、ジャンプ!
の「ホップ」を失してしまった印象を、強く受ける。
今年の総選挙で「ジャンプ」するかしないかで今後の展開が確定するだろう。
ジャンプしたとき、たどり着くべき真の着地点とは程遠い場所に降り立つしか術はない。
ジャンプできなかった時、ホップから出直すとき、図々しく仲間気取って友情を押し付けることなどできやしない。
偉い人は、AKBを踏み台にして良いと語った。
AKBを踏み台にしてのし上がれ、と。
でも、AKBの仲間を踏み台にしても良いことにはならない。
「ホップ」ですべきは、仲間を踏みつけることではない。
あの日はまだ中井に寄ってくれていた仲間が、確かにいた。
中井りかは、彼女たちすら踏みつけたのか?
慕ってくれる可愛い妹チームの笑顔すら、踏みにじってしまったのだろうか?
あるいは?
「りかちゃんが売れるためなら私たちを犠牲にしてもいいからね!」
って、メンバーたちが四つん這いになって支えてくれているのだろうか?
あるいは強い絆で結ばれた理解し合える仲間がいるのであれば、蚊帳の外から見える景色はまた違ってくる。
須藤凜々花のように。
だから結局彼女で大切なことは、「NGTやめてソロでやれ」「卒業してソロでやれ」という、ヲタらのセリフにまんまと当てはまってしまった無様な姿になり果ててしまっていることだろう。
たいてい、アイドル限らずタレント他何でも指原でも須藤でも、ヲタらの攻撃に対して無言で勝利に容易に持ち込める「真心」というものが備わっているし、仲間との絆があるから一人じゃない心強さがあるものだが、彼女からはそれが見えてこないから、ただただ哀れに見えてしまう。
普通は、いつ捕まって訴えられてもおかしくない言葉の数々が、まんまと真の正義と化して当てはまってしまう。
第2の指原と言われていたとて、真心が無いのであれば指原の代わりなど到底務まらないどころか、何にもならない。
残念ながら中井りかの戦っている戦場は、欧米ではなくて、日出国、日本なのだ。
指原の成功の土台には、基本中の基本中の基本が備わっている。
最後に、宮崎美穂と大島優子と、秋元才加の富士登山での言葉を載せておしまい。
「1人じゃ何もできない。
みんなでしゃべってワイワイしながら行くのが辛くない時も楽しい時も一番いいよね。」
「辛くない時も楽しい時も?結局辛くないんだ?(笑)」
「あははは(笑)」
「あ、いやいや、辛い時も、無言になったらいけなくて、楽しい時も無言になっちゃいけない。」
「そうだねー」
「笑う門には福来るだよ」
「そーそー」
こーゆー時ってなんか改めてさー、仲間とか大切なことに…。