AKBINGO!EP488 これが高嶺の花だ!最強の神アイドル小嶋真子の魅力を暴く!?
今までずっとちょい映りとか端映りだけで終わっていたこじまここと小嶋真子がスポットライト浴びる盛大な出番はたぶん久しぶり。
日本人女子の典型「童顔カワイイ」の2つ3つ飛び抜けて良く出来た美的面と、天は何物与えるのだ?ってくらい色々と持っているまさにこれこそが他者を圧倒して勝利している「高嶺の花=アイドル」であり、小嶋真子を観ていると汗とか涙とか努力とか、「女の子の成長物語」とかホントくだらない遊びなんだな~っていうのが痛いほど実感できる。
何の魅力も能も無いその辺にいくらでも転がってる単なるいち素人娘に商品価値を与えるために創り出した「成長物語」がいかにくだらないか、小嶋真子の魅力が教えてくれる。
女の子との遊びが少ない篭り篭ったヲタらにとっては彼女の魅力は傷を与えるナイフのような鋭さでオタクらを威圧し、さらには「その他大勢のアイドルにすらそのプレッシャーを与える」こととなり、小嶋真子の魅力にあっけなく押され、散り、こじまこを引き立てるための「雑草が如き」に成り下がる。
その証拠に、他のグループ(姉妹グループ)がいくつかの番組内で「こじまこ批判」を暗にしたり、ニュアンス的に「こじまこ非難」をしたりもしているくらい、女子らにとっても嫉妬せずにはいられない、女子として、女としての魅力が溢れ出ているまさに「高嶺の花=アイドル」である。
女子らが嫉妬するのも無理はない。。。
何の魅力も能も無い単なるいち素人娘に商品価値を与えるために創り出された「自称アイドルの物語」がいかにくだらないか、小嶋真子の魅力がその他大勢のアイドル達にすら、ナイフのような鋭さで威圧していることを、女として察知しているから…。
小嶋真子が真にアイドルであり、自分は偽物という屈辱を感じているから…
松本人志がかつて語った言葉にこんなものがあった…
「お前ら(まっちゃん批判をしている世間の貧乏人たち)が、もしオレくらいカネ持ってたら、もっとめちゃくちゃしてるやろ!」
「オレ(才能あふれる松本人志)だから、このくらい(風俗行くくらい)で済んでんねん。」
「お前らみたいな貧乏人のゴミくずみたいなもんが、オレくらいのカネ持ってたら、もっとめちゃくちゃしてるやろが!」
それと同じかもしれない…
その他大勢の雑草アイドル達が、小嶋真子をどんなに非難し批判したとて、「小嶋真子の顔と美貌を持っていたら、お前らだってもっとめちゃくちゃやってるだろが!!」
こじまこだからバースデーくらいで済んでゴホゴホ。。。
またあんまりベタベタ貼り付けると今度はキモコジマコヲタに成り下がるので自重するが、AKBINGO!EP488「AKB48よりもモテていたアイドルの友達企画!」でのこじまこの高嶺の花感は半端ない。
壇映りで映り込むその他大勢があまりにも貧相で哀れに見えてしまう。。。
濱ちゃん…誰かに似てるんだよなぁ…バックスバニーではないと思うが遠からず近からず?
セリカ姫…こじまこを観た後だともはや姫感の欠片も無い。。。こっちの方がバックスに似ているか?
これがこじまこの恐るべき魔性の力なのか…うさぎに変える魔法?
これに対抗して絵を持たせられるのはもはや入山杏奈しかいないだろう。
…
my推しメン2人をウサギ化するなんて。。
なんか腹立たしいからエイっ!
彼女を悪く言う病的ヲタらと同じことをしてしまった。。。
あまりに隙が無い美貌
超絶カワイイ「高嶺の花」だから、自分なんて。。自分なんて。。。
卑屈になってしまってついつい、やってしまった…
やってしまったのだよ。。
あんまり美的面で遊ぶと怒られるのでおふざけはこのくらいにして…
とにかく小嶋真子ってもんはすごいなぁと常々感じていて、親友とのくだりを真に受けたとして思いを馳せれば、やっぱりまさにそうだったのだなぁと感じ入ることができる。
「無言の威圧」
顔は可愛らしいと思うけど、この子からは(勝手なイメージとして)「純愛」とか「純情」とか「純朴」とか、そういった「純」がまったく似合わない、はっちゃけて騒がしくてせわしなくて落ち着きがなくて強い向きに偏ったパワフルな女の子、だと感じていた。
不良少女の悪ノリの方向性とよく似ている。
よぉこれでアイドルやろうと思ったよね…遠藤一美ももともとは不良女子だった…
だから基本的には彼女の描きは精度が低いし、デビュー当時とほとんど変わっていないという面白い逸材。
悪く言えば「顔だけ」かもしれない。
良く言えば演じていないありのままの小嶋真子を魅せ続けている証拠でもある。
だからそのー
道重さゆみが浮上するために試行錯誤して精度を高めて、見事やってやったのとは違って、ホントにこの子は美的面だけだなぁ~と。
作り手に対してのクリエイティブなエネルギー(刺激)にはならないだろうし、そもそも彼女自身がそれを発していない。
綺麗な女優さんたちだって演じることで観る者にイメージやエネルギーを与えるんだけど、彼女はそもそも良くも悪くも演じてない、素のそのままのこじまこのままの子。
この辺のオーラや気質はすでにAKB48を卒業した「大和田南那」とそっくりでもある。
彼女もまたとんでもない美少女だったが…顔のいい子の典型的なタイプのままで終わった。
島田紳助がかつて語っていたことだが
「顔が綺麗な子でも、心が豊かじゃないと、ただの鑑賞物になる。」
「はぁ~キレイやな~」
「って、見る分にはエエけどもやな。」
「恋愛の対象としては何もオモロないでそんな女と付き合っても」
「そんなもんは一発やって終わりや」 ←良き時代の爆笑ポイントだ。しかしこれが「美人蔑(さげ)」なので、今の時代でも「いいぞ!いいぞ!」ってなるかもしれない。
それはそうとなぜ道重さゆみは大絶賛されているのか?
明石家さんまからも好意的に認められているのか?
彼女は恥辱にまみれて、まみれて、しにもの狂いで努力し洞察し考察し、戦略を練って勝負しに行き、結果を出して残して、彼女自身の手でつかみ取った勝利であり、その背景(ある種の物語)を知る者たちは、「顔が良いだけって、だけではない」「こんなかわいい子(美人)」が、汗と涙と汁苦にまみれて勝ち取った勝者だから、それを知っているからこそ、道重を絶賛できるんだよね。
ただ道重がかわいいからって事務所が推してテレビに出て、ホントに何も考えんとただ毒舌巻き散らかすような「痛い女子」だったら、伝説になることはなかった。
バスツアー一回やって何千万と稼ぎ出すアイドル引退後の楽し気な道重の生活なんてあり得なかった。
グアムツアーが中止になった何某と同じように。
「ユーモア」「真心」「愛情」「空気感」ちゃんと持つべきものを持っているから、さんまも、ファンも、ヲタらもみんな道重さゆみに好意的なのだ。
こいつはちゃんと戦ったヤツなんだって。
そーゆー物語(背景)って、ずーっとずーっと、アイドル引退後もずっとバックボーンに見えているものだ。
AKB48は面白いように一点のみなもんだから、これがあってもそれがない、それがあってもこれがない、ってところでいつまで経っても中途半端で飛び抜けることができないでいるのは、内に篭ってヲタらだけしか相手にしていないせいでもあるし、小嶋真子のように精度を高めることをしない戦略練らないただダラダラと活動しているせいかもしれないし、そもそもが彼女たちの成長物語がいかに生ぬるいものであるかがうかがい知れる。
でも大丈夫、小嶋真子には天から授かりし何物でも持っているのだから…それだけで良い。
後ろ真ん中、背を向けてるのがこじまこ。
素晴らしいフォルム。
ちゃんとできてる。最近のAKBshowスタジオパフォーマンスより。
自分は、村重杏奈がなんだかんだ言いながらも、ロシア人女性とかブラジル人女性特有の細い線で弾ける美ボディを手にして、大覚醒するだろうと期待していたけど、ホントに見事に占い師の言うとおりになってて。。。
対してこじまこは、幼げからの変身で美しい色香漂う大人の魅力を綺麗な線を以って表現できるようになっているし、あわせて笑みを含めることで「大人と子供の同居、小悪魔」の表現も可能となった強みがある。
「セクシー」と安易にいうよりは「眩い色気」が良く似合う。
上手い下手を超越した「見栄え」
これが、俗にいう「アイドルが下手でも良い」と言われる所以である。
これこそが、「下手でもいいアイドルの魅力」である。
見栄えも悪い、中身も下手くそ、そんな物如きがどの面下げて「下手でもいい♪」って言っているのやら。。。
困った連中の多いこと多いこと。
小嶋真子のハイクオリティな高嶺の花であれば、下手でもいいのだ。
彼女を観ていて安心感しかない、心地の良いパフォーマンスだ。
選抜常連者である理由。
下手だの上手いだののそーゆー次元ではない表現力。
これほどまでに分かりやすい「天性のアイドル」はいないだろう。
偽物らが嫉妬し、彼女のことを悪く言う現象すら、「高嶺の花」の価値をより高める。
さてさて、本来は?
こじまこのような超絶カワイイ女の子たちが、汗と涙と汁苦にまみれることでの「物語」の描きとするのではないのか?
とも、思う。
山田みたいなもんが、お前みたいなもんは「やって当たり前!」
って、どうしたって思っちゃうよね…
こじまこのようにあり得ないくらいカワイイ女の子たちが、あえて汗水流して努力し恥をかいて虫けらの位置にまで落ち込んで、恥辱にまみれて苦労して苦労して、もがき苦しむ姿を観て楽しむ…ん?…なんか違うぞ。。。。
いきなりの山田への飛び火、ゴメンナサイネ。。。