AKB48×ハロプロ 現代アイドル読解学

今をときめくアイドル達の輝きとそれらを取り巻くヲタらの生態を研究・観察していきま~す。

アップアップガールズ(仮)の新井愛瞳×よゐこ マリパをクッパでアッパーカットで勝ったー獲ったどぉやっぱ言ったよヤッタ―。。

笑ってしまったよねこれは(´_ゝ`)

これは笑わせてもらった…出るかねしかし(笑)

そんなことってあるもんだ…これが芸能界の面白さでもあるのか…

よゐこのマイクラでサバイバル生活の配信動画でかつて間接的に名前だけ登場して、それでまたよゐこの浜口だったかな…しゃべりが上手いもんだから新井愛瞳自体は出て来てないんだけど絵が見えるというか、まるで新井ちゃんがいるかのような、いたかのような、浜口の上手いしゃべりで超間接的にアピール出現していた回が数回あった。

それでついに、よゐこのその配信動画のゲーム遊びに登場したということだ。

 

新井愛瞳といえばアプガ(アップアップガールズ(仮)一応女性アイドルグループというテイ)のメンバーでありハロプロにかつては関わっていた人でもある。

だから面白いものでやっぱりしっかりとこの人はハロプロ的だし、人間的にも女の子的にも女性的にも「ハロプロ臭」が漂っていて、(だいぶ前から事務所は違うが)なにかこう染み付いたものは取れないで残るものなんだなぁという面白さがうかがえる。

 

AKBグループってもんは基本的にはアイドル達が主体となって主役であって戦士であってメインであるので、大人たち(スタッフ、マネージャー、作り手ら)は、アイドル達の下に位置している。

ところがハロプロは(今はだいぶ変わったらしいが道重卒業前までは)大人たちがすべて上に立ちアイドル達は常に一番下に位置していた。

これで何が起こるって、10代女子にして早くに大人びて大人のやり方や礼儀を心得て大人らしくなっていくんだよね。

言葉遣いや空気だけではない、人そのものから大人な雰囲気、貫禄が漂ってきて(姿かたちではない)なにかこう人として社会的にも成熟しているような雰囲気がある。

たいしてAKBはというとそこがなかなかに疎かになりがちなので程度の低い女子大生とか、どこにでも転がってる女子高生みたいな軽々しい空気、ノリ、雰囲気が感じられるのだ。

一般の10代の女の子と同じようにわがままで生意気で自由を与えられて楽し気にはしゃぐ者たちと、そうはさせない年齢なんて関係ない「いち社会人」として大人として扱われ教育されて育て上げられた者たちとの大きな大きな違いを見ることができるのだ。

な~んかプロっぽくない素人臭さと、な~んか芸能界の人って感じ漂う玄人っぽさと。

 

上に立ち下に立ちってどういうことかって、要は、ハロプロ勢の大人たちは厳しい目を以って接しているから、甘やかさないし隙あらば口うるさく注意もする。たとえそれが小学生であったとしても。

大人の世界に入って大人のやり方の中で育っていくから自然と彼女たちもそうなっていく。(大抵概ね)

ところがAKBグループは基本的にはアイドルが優勢なのでなかなかその部分が未熟のままで体だけ年取っていくという哀れな世界にいる。素人レベルとか世間一般から嫌われる要素がふんだんにあるのは、そーゆー点も大きいだろう。

過去にあったかどうかはわからないが、真に10代だらけのハロプロアイドル達と、20代も多く入り混じるAKBグループのアイドル達とが一堂に会する機会でもあればその「大人な感じ」「成熟している感じ」あるいは「未熟な感じ」「素人レベル」のこれらの差をまざまざと感じることができるだろう。観ているこちら側も、彼女たち自身も…。

もちろんAKBグループだってみんながみんなそうであるわけもない、卒業生ばかりだが即座にパッと思いつくのは元SKE48の秦さんとか松井玲奈とか、AKB48のピアノ弾いてた松井ナンタラお姉さんとか、そりゃあもちろんちゃんといたし、今だとNMB48山本彩なんかもまさにそう、だからAKBグループに居ながらにして彼女だけは別格に、世間一般からも愛され好かれる要因が、まさにそこにあるということなのだ。

あるいはAKBグループに早々に見切りをつけた光宗薫なんかはハロプロ的であればあの場でやめずに続けて活動できたに違いないし、逆に元モーニング娘。久住小春なんてものはAKBグループにいてもより爆発して輝いた超新星アイドルとなれた、かもしれない。

各々のイズムと、赴く戦場の違い、しっくりくるか否か…。

 

 

それで思うのは、AKBを嫌いな人はホント間違いなく絶え間なく嫌いだろう。

好きになれることはそうそうない。

たとえばテレビで、料理番組で、料理してる人のネイルがど~したこ~した汚いとか、本気で思って本気でクレーム付けちゃうような程度の低い輩は絶対にAKBを好きにはならない。カーリング娘。でもネイルがどうしたとか馬鹿じゃねーの?って思う一方で実際本当に「そう思う人たち」がいる、彼ら、彼女たちにとっては未熟な少女たちのはしゃぎ遊ぶAKBは相当難易度が高い敷居の高いアイドルグループであり、そういう人たちはガチガチの軍隊志向のお利巧さんシリーズのハロプロやなんやのそっちへ依りやすいものだ。(別にアイドルに依る必要も無いが。)

あるいは自分みたいに想像性とかクリエイティブなことを求めるタイプはAKBグループの自由奔放さはたまらない。

何が出てくるかわからない面白さだ!
たとえばいつだったか、めちゃイケだったか…AKBの握手会の様子の中で、大人たちスタッフがペットボトル(お水、お茶)のふたを開けて、ストローを一つ一つに差して入てアイドル達のためにテーブルにセッティングする模様が映し出されて、かなりの大批判を喰らったようだが、そりゃそうだ(笑)

アイドル達てめーらには手があるんだから(汚いオッサンらの手を握っているその手がある)自分たちでそのくらいしろと言われて然るべき場面だが、自分みたいなものは別にそんなことはどーでもよくって(欧米的な視点で見ればそれは彼らスタッフさんたちの「仕事」であって、たとえばサッカーW杯で、スタジアム客席のゴミを片付ける日本人サポーターが称賛される一方で、そこを掃除する人たちの「仕事」を奪っていると非難もされる。まあ個人的にはどうでもよい話だが…)むしろ自分は、アイドルたち自身が、「これくらい(ペットボトルのストローくらい)自分たちでやろうよ」と、メンバーたちに提案するとか、大人たちに提案するとかして、そーゆー程度の低い世間の視線と狂っている部分を変えていくような、ジャンヌ・ダルクというには違うかもしれないけど、そーゆーやり方、魅せ方が含まれている「ガラ空きの機会(チャンス場面)」が紛れ込んでいて、誰かがそーゆーことを言ったりやったら面白くなるんだけどなぁ~…って、勝手に想像して楽しめたりもするのがAKBの特徴だ。

(勝手なイメージだが秋元才加なんかはそーゆー男義みたいな強さを持っていていかにもやりそうな言いそうな雰囲気がある)それを、もちろんカメラがないところで完全なる舞台裏で言い、それで変わる変わらないは別にして、後に後輩やメンバーたちがだれだれさんかつてこんなこと言ってこうこうこうでこんなことあって~……的な「のちの伝説」として語られたりする面白さが、AKBグループにはふんだんに含まれている、そーゆー面白さがたくさんあるんだよね。

 

大人たちの上に立てているアイドルだからこそ、真を述べて変えていくことが、彼女たちにはできる機会(チャンス)を持っているし、その一方で何も言わないことは受け入れちゃってる証でもあり、無様に映り世間から総スカンを喰らって嫌われる要素にもなり得る。

ただ、大人たちに完全に支配されてただただ命令に従うだけのハロプロ勢では決してできない「何が出るかな♪何が出るかな♬」な面白さがAKBグループには絶対にあるのだ。(もちろんそれには、見る側のこちらに綺麗な目と心と頭が必要でもある。元AKB48の相笠萌みたいなものを「コイツ面白いな~…」と興味深げに見つめることができたのは、彼女のファンを除いては限られもするだろう。)

 

大切なことは、どっちが良い悪いの対決ではなくて、見事にきっちりと住み分けがなされているなぁと、境界線バッチリの分かれ目具合だなぁと感心してしまうほどにスパッぁっと両断されている感がまた楽し気なのである。



アップアップガールズ(仮)の新井ちゃんの話じゃないねぜんぜん。。。

 

ここでの新井愛瞳の表現力が、大島優子と被って見えてしまった…

なかなかこーゆータイプがAKBグループからは出てこない…

それでいて確かにアイドル的だと感じたし、所謂「可愛い」にもいろいろな意味や見方や捉え方があるが、このよゐこマリパの回で魅せた新井愛瞳の「可愛らしさ」は、AKB勢のアイドル達には出せない可愛らしさだった。(新井愛瞳を、ハロプロ勢のアイドルの○○さんに置き換えることも可能な「可愛らしさ」でもある。)

 

両断された各世界でそれぞれに、アイドルというテイでやって来て育成されて作られた部分(演じ)の点でこうも見事に違って現れるものなのか…

だからこそ、ハロプロ勢と、AKB勢との絡みこそが最高に面白い遊びになる可能性を秘めていながらにして、やっぱりいろいろな事情や思惑、誰得観によって実現しないものですね。。。

 

今やるべきはラストアイドルではなくて、ハロプロとAKBをぶつけて飛び散るまだ見ぬ未発見の粒子たちを魅せることなんだよ…