AKB48×ハロプロ 現代アイドル読解学

今をときめくアイドル達の輝きとそれらを取り巻くヲタらの生態を研究・観察していきま~す。

【テレ玉編】にいがったフレンド!はじめてのなうおんえあ!

涼しくなる秋頃にまた、NGT48劇場公演第二弾!行く予定だったけどとうとうまったく見事に欠片も気力も興味もなくなったよね~(汗😓(・_・;))

ホント、よくあの日行ったもんだ…思い立ったがナンチャラじゃないけど勢いって大事、それと初めてって面白いものでテンション上がるしウキウキワクワク~♪感もあっていいものですが、一度経験してしまうと「あれやってこれやってそーなってこーなってど~なって…うわっ、もーメンド。。。」で行かなくなるよね…。

それで今はSKE48の二代目将軍菅原の劇場公演が観てみたいなぁ…なんて思っているけど、飛ぶ鳥落とす勢い猛る映画まで撮っちゃう栄華絶賛極め中の大人気アイドルグループだからチケット争奪戦がめんどくさそう。程度の低い小躍りと口パクショーの分際なんだから駅前でティッシュに詰めてチケット配布しろよ…公衆便所の紙としてセッティングしておけよ…ご縁がある様に五円で売れよ…なんて思ってしまうものです。。

 

それはさておき…

あの素晴らしき崇高たる超面白傑作アイドルバラエティ番組「にいがったフレレンド!」を初めてテレビで観ました。

ド深夜の誰得?帯がゆえに録画観だけど東京人は素晴らしき埼玉テレビ様様で観れるようになるといつだかヲタらがはしゃいでいたものです。

それでテレビ画面で観てショックだったのは、あぁ…なるほど…と。

地方感丸出しのテレビ埼玉のパサついた画質の中に映し出される田舎の風景という二重三重の地方感を目の当たりにしてそうか…NGT48って新潟アイドルだったっけ…という再確認をいやがおうにも喰らう羽目となったのでした。

中国語の翻訳付きPC動画の綺麗な画面で観ていたときはまるで気にならなかった「地方感」が、テレビ画面からはヒッシヒッシと伝わってみえてしまうのです。

これは別にそーゆー意味ではなくってね…つまり「ク○田舎の如きがぁぁっ!!」みたいな、そーゆーことではなくってね。ホントに。

キラキラ美しい愛らしい楽し気なアイドルたちの煌びやかさのテイで観ていたNGTアイドル観が、田舎の風景とパサついた埼玉テレビの画質の中にいては現実を目の当たりにするというか、そうかそうか…この人たちは新潟アイドルだったねと。

ここ最近の回をざっと観ていたら、切なく物悲しくなってしまうまさに愛しさのアクセル踏んじゃう系アイドルに落ち込んでいてこれはこれでよろしくない。

青森回は、ドラフトの子はまだいいと、まだデビューして半年だからまだいいと。(ホントはダメなんだけど。彼女自身一個人として同じドラフト3期の安藤ちかなのように飛び抜けるためにはできないでいいわけがない。)でもまあ、まあ、デビューして半年なんだから、今日はまだいい、と。

それよりも3年経過した先輩たちのダメさ加減が切なくて悲しくて「う~ん…」という虚しさしか与えてくれないという問題。

前回の武道館クイズ大会では「ボケろよ!」と何度猛んだことかと書いたがしかしこの回は「声を張れよ!」と何度猛んだことか。。。

これがだから数少ない独自のコンテンツ様様の(しかも出番がさらに少ない狭き門)中で育成されてしまった結果なんだろうなぁ~という戦場に出て来ても使えない、魅力ない、面白くないという切なさ、虚しさ。

弱弱しいという悲しさ。

 

こーゆー場面を先輩らしく面白可笑しく乗り越えてほしかったよね…

恥辱にまみれがちな一般人(若者)との絡み。

彼女たちの方から行くことが出来ずにただ笑っているだけというのは、きつい。

キャッキャキャッキャ♡面白可笑しく笑いをとるのが一般人たちの方って…中井りかがこのオンエアを観たら何を思うだろう…そんな暇など欠片も無いか。。

3年を経た先輩たちがこのザマというのを映し出すのは、彼女たちを好意的に見ている応援している者たちを辱める危機的状況にもなり得る。

NGTのまとめでこの回をまとめないのは臭いものにフタまさにそれ。

洗脳されたヲタら相手にやって来たツケ。

そしてそれを脱した者との差が垣間見える。

 

それでこれが、AKBグループの弱点と、傾向になってるんだよね。

「テレビで使い物にならないメンバーの未来展望」という点で、あとは適当にオッサンらの手を握って劇場で踊って終わるしか術がない。やってる彼女たちと応援しているファン・ヲタらがそれでいいならそれでいいだろう、けど本当にそうなのか?

みんながみんなそこ(バラエティ、テレビ界)を目指しているわけではないというが、じゃあ後何ができるというのか…。

(歌踊りキャラ込みで)バラエティ・テレビ的こそ最もやりやすく、最も伝えやすく、最も分かりやすい場面ではないか?

秋元Pと黒幕たちの金儲けの道具を脱する必要があるのがAKB的アイドルの宿命。

既に卒業したメンバーを持ち出すのは心苦しいがNGT48的に研究生オチで終わったメンツらとか。

よくこの手の議論的に「NMB48吉田朱里パターン」を持ち出してくるが、あんなものはほんの一握りにごくわずかな稀なケースであって、あるいは「豆腐プロレス」が展開された時、アイドルがプロレスとかwwwwwなんて吹聴揶揄され笑われもしたがむしろアイドルがtubeやったりいいね集め奮闘したりしても実はそっちの方こそ「アイドル的ではない」となかなか気づけない。実はそれは逃げであると、意外と気付けない。(秋元P的理論で言えばそれらもまた良しとなるのだが)

少し前のダンスオーデ、そろそろ間近の?歌の大会然り、恥辱にまみれる危機的状況を恐れずAKB的に泥臭く挑むこと(プロレスももちろんそう、身内の企画は何でも)が出来ていないという弱弱しいメンバーは、きつい。心の弱さ、キャラ観、勢い意気込み、命の炎燃やす若さあふれるエネルギッシュな輝き、魅力の無さ。悲壮感。

テレビ的、タレント的、総じてアイドル的を欠いては、きつい。

 

中井りかは確かに音(メロディ)を無くしたが、もはやどうでもいいとわかる。

 

だからこれでどうする?

にいがったフレンド!オープニングトークは東京都内某所の小綺麗なスタジオセットのソファに座って中井りかコカドケンタロウが20分くらいトークする。

後半5分くらい、ロッチ中岡がNGTアイドル5人10人ぞろぞろと引き連れて田舎のシャッター街をブラ歩きロケ。

あの指原がいても、スーパースター指原莉乃がいてすら、番組なんてものは終わる時は終わるのだから…。

金魚のフン歩きしている場合ではないということだ。