佐倉薫は声優さんです。
Eスポーツはお金になるか!?
ということで
【RAGE】シャドウバース十禍絶傑~GRAND FINAL BATTLE大会!~
を高みの見物してきました。
やっぱりそこは所詮は日本人ですから、欧米、ひいてはオンラインゲーム大国中韓勢のパワフルで熱狂的なノリにはまだまだ程遠い印象。そう考えると、マナー×は良くないけれど一定の範囲内で熱い熱い声援送るアイドルのオタクらってもんは、あっちの人らと負けず劣らずの情熱的なエネルギーを感じさせてくれるし、これがビジネスとして成立している、成立させてくれている人たちの熱量の差かもしれない。
だから本来は、プレイの度に大袈裟なセリフやアクションを魅せ付けてこその、eスポーツ、イベント観なんだけどねぇ~この辺が常に惜しいワケだ。
「ここだ!ここで決めるんだぁ!喰らえぇぇぇぇぇ…姦淫の翼ぁ!」
「うわあぁぁ。。。」
とか
「ふっふっふ…これでオレの勝ちだ。喰らえ!セリア疾風撃いっっっけぇぇぇぇぇ!」
「のああああああああああああ。。。。」
とか。
一手一手、どんなプレイにも、プレイヤー独自の即興のセリフとアクションを以って楽しませてくれないとダメだよね。
もう少し未来になれば、ホログラムの技術を使ってその空間自体にエフェクトやキャラやなんやを映し出してより凄まじくパフォーマンスする日も来るだろう。
一見ふざけてるような物言いだけど、かならずこの手のくだりを入れ込んでパフォーマンスし注目集めて人気を得て台頭してくる何者かが必ずいるのだからその先駆として、シャドウバースは「アクションパフォーマンス点、部門」も作っておかないと。
eスポーツがビジネスに…かどうかは常にヲタらという人種を躍らせてしまえばいくらでも「カネ」にはなるけれど、そーゆーことではないんだよね。神聖さとか粛々ととか、プロフェッショナルな展望とか高度な格差を持ち込みたいわけだ。
例えば各国近年大麻解禁のように、やってしまえばあとはもうヲタらがいくらでも動いてやってくれるのと同じで「ゲーム」というジャンルゆえにまたオタク天国日本だから、いくらでもどうににでもなる。失敗という事態が考えにくい。それはカジノもそう。みんな大好きパチンコもそう。でもそうじゃないんだ…と。そういうことではないんだと。世間から白い目で見られるオタク的にはしたくはないと。あくまで「eスポーツ」でなければならないはずだ。するとこれ(シャドーバース)は要はコンピューターゲームのカードゲームなので、PS(プレイヤーの腕前)を競うアクション系とは違って裏操作や確率の問題などでキツい。もちろんそういうことは絶対にないんだろうけど、常に付きまとうし、どんなに劇的でエキサイティングな場面に出くわしてすら、「ホントにそうなのか?」なんて邪推しかねない隙間ができる。
これで凄く面白いのが、同大会の女性部門で優勝した女の子、女性がものすごく可愛らしい(カワイイの方がいいのか)とにかく美的面に優れた女性で、するとこの結果に悔しい恥辱にまみれたヲタら(もちろん不男だ)が、可愛い女の子に優勝させて話題を…ナンタラカンタラとか、裏操作によって彼女に勝たせたんだろwww的な発しが多く溢れていて、アイドルに限らずどこにでも病的ヲタらっているんだな~という再確認も込めてこれはこれでいろいろな意味で面白い。
もちろんそーゆー裏操作などあるはずないんだけど(たぶん…)、常に付きまとうことになるだろう。
するとこの手のゲームで世界規模で有名処の「マジックザギャザリング」なんかは、リアルなカードを利用している大会なんだよね。機器的不正のしようがない。
麻雀オンラインでも、勝てない弱者たちが「○○麻雀ゲームは糞だ!」「裏操作半端ないクソゲーwww」なんてあっちこっちに書き殴るのと似ている。
コンピューターゲームである以上、どうしたって糞ユーザーのクソゼリフからは逃れられない。
Eスポーツとはそーゆーモノだと言われればそれまでだ。。。。。
あと、長考が過ぎるよね。
ダラダラダラダラ長いよ。
猿の如きがダラダラ長らく思考したって一緒だよ。
むしろ10秒くらい、将棋のよう「持ち時間」を設定して崩していく形にするとかなくなったら負け、もしくはどこぞのチャンネル大会のように10秒…ってカウントして急かすとか、時間との勝負「時間」も勝負の枠に入れ込まないと。
同じカードの同じ展開で手札にあるか無しかの無様な決着が多いからこそ、それそのものでは後追いからいくらでも追い抜かれてしまうのだから先手先手、ツバつける側面的要素で盛り立てて盛り上げていかなければならない。
こんなしょ~もないくだりはど~でもよくて、会場の解説者席に舞い降りた声優の「佐倉薫」について。
思わず「げっ!?」って叫んでしまった美しさ可愛らしさで、そう、それはまさにこち亀の「左近寺竜之介」が恋愛シミュレーションゲームの早乙女沙織を見た時に発した「げっ!」と似ているげ感。
イマドキは(男女共に)声優勢の美的面のクオリティもとんでもないところまで行きついているのだと実感する。
それでそうか、この人はアイドルではなくて声優さんなのか…と。
AKB(とかハロプロとか)のアイドルって人数山といるのに不思議と「ポツンと一人佇む系女子」がまるで見えてこない。
どうしてもガチャガチャ動き回ってアピールしなくちゃならないせいもあって、だからこれが世間からあんなものはアイドルじゃないとかクオリティ低いとか部活レベルなんて言われる所以でもあろう。
かつて誰かいただろうか…なんて思いを巡らしていると…元SKE48の秦佐和子さんがパッと思いついた…この人も声優さんだったね。。
現代アイドル女子やAKB勢に品がないわけではない、しかしアクティブにやっていかなきゃならないもんだからなかなか見えてこないあるいは「そーゆー感じ」の自己プロデュースなり演出、表現が難しいし、逆に48人×6グループみんながみんな「ポツンと佇む系」が大量に沸いていたらナンノコッチャでしかない。SBK48精神病系アイドル、ヤンドルじゃないんだから。。
そんな中にあってあの日の秦さんはその点で他にみられない唯一無二といっていいキャラクターで人気を得ていたよね。あれは、大人だったから「そーゆー感じ」なのではない。彼女の真の姿としてあるべき姿ありのままの表れだった。
「そーゆー感じ」がアイドル的でアイドルとして相応しいと思える点に、さ~く~ら~♪の歌の…ナンタラ直太朗みたいな男性ボーカリストが、幼少期にテレビで西村知美デビュー期の歌う姿を観て一目惚れ的に魅かれたエピソードを話していた中にヒントがあって、「ポツンと一人佇む系女子」って心奪う魅力、破壊力が抜群なんだよね。オタク問わず刺さる。神秘的に見えるんだよね。崇高たる女性像。
しかし悲しいかな現代アイドルはとにかく踊って踊ってガチャガチャ動き回ってしかも困ったことにそんなに上手くはないという点で恥辱にまみれる。そこに興味魅かれない(魅かせないクオリティ)魅力感じない(感じさせないクオリティ)者が基本世間一般だから、なるべくしてなるしか術が無かった現代アイドルの衰退劇。
刺し方(売り方、魅せ方)が違うのは承知で、よく目にする(最近はあまり見ないかな…)「そーゆーのがいいならハロプロいけよ」「坂道いけよ」向こうは向こうで「そーゆーのを求めているならAKBでもいけよ」「秋元系列いけよ」なんてお門違いは去れ合戦。ここ(このアイドルグループ)はそうじゃないんだ、と。
そうなった時、ハロプロでもなく坂の上でもなく手握り集団でもなく地下でもなく、むしろ声優勢に目を向けると、ポツンと佇む系がポツンと1人佇んでいて、可愛らしく、柔らかに、そして楽し気に活動している姿に触れる機会が待っている。
それで声優系はアイドル歌手勢よりもよりディープだとか、闇が深いとか、ヲタらの熱量がとんでもないとか、まあそうなるのも分かる気がする…。
本来はそーゆーのが1人2人アイドル歌手として花咲いて音楽業界に君臨してくれているのが望ましいけど、儚い花は長くはいてくれないもので、どうしたって今の大人数型笑劇場化になってしまう。それでしつこく繰り返すと、そこに抵抗のある者や刺さらない者興味湧かないとかはどうやったって、現代アイドル女子に魅かれることは無いだろうそれらを、一気にかっさらう可能性を秘めているのが、欠けに欠けている「一人ぽつんと佇む系」。※ソロ歌手と言いたいのではない。。
ホントいないよね~秦さん系列のジャンル。
あのー、AKB48のハピネス担当の佐々木さんとか…佐々木さんとセットでいつも語られる大森さんとか…
っぽいんだけど、やっぱり違う。
悲壮感とか、弱弱しいとか、ぼっちとか、大人しいとか、それらとポツンと佇む系は意味がまるで違う。
予想通りのドン・ピシャリだ!
面白いんだよね。
楽し気な空気感。
面白く出来る笑いに包める世界観を持っている。出来る。
お題
女医のお姉さん風に診察してください。
「悪いところはココかなぁ?」
「そ れ と も、ココかなぁ?」
「それともぉ…コ コ♡」
元SKE48の秦さんもそうだった。
やる時はやる!
照れなどない。
迷いなどない。
やる!
AKBINGO!にあの当時としては破格の出演回数を重ねていた人気者の秦さんは、出演するたびにMC進行役のバッドボーイズ佐田の粗末な(モノマネしろよ~的な)フリに真剣な表情でやり切る精神を以ってバシィィっと、何度も何度も佐田の雑なフリに応えていたね。
歯を見せて照れながらヘラヘラやる芸ほどお寒いものも無い。
やるならやる。
やる時はやる。
彼女たちアイドル達の自己紹介だってそう。
照れながら言ったって無様だ。
観ているこちら側まで恥ずかしくなる。
「我こそはアイドル!」
って気持ちを込めてやり切る精神でやってくれないと聞けたもんじゃ無い見れたもんじゃない。
か~ら~の~…
やったあとで照れちゃうんだよ。
バシィィっとやったあとで。
ここが、女子らの特権みたいな場面。
女芸人がこんなのやったって絵にならない。
それでまた右の川上れなぴょんみたいな女子(彼女も声優さん)もまた素晴らしくって
左にいるのは三田麻央ではない。NMB48ではない。
優木かな
「ココ(胸)で良かった。」
「ココぉ?ココぉ?それともココ(頭)わるいのぉ?なんて言われやしないかってドキドキしてた(笑)」
これは凄いね…現代アイドル勢に大きく欠けてる絶妙なキャッチボール場面だ。
普通は、ココかなぁ?(胸)
あははは(笑)
やだもぉ(笑)
で、終わってしまうところ、面白を抉り出してキャッチボールをさらに続けるんだよね。ネタにされた側が今度は笑いを取りに行くというこれが、まるで出来ないんだよ、アイドル歌手という名のAKBとかの女の子たちは。ひと笑いで完結してしまう。続かない。
元モーニング娘。の道重さゆみと、嗣永桃子はこの辺が抜群だったのは、彼女たちが芸能界という男の戦場で負けず劣らずに戦えた理由でもある。
それでそれを受けて佐倉薫は…
もう一度言うが右のはれなぴょんではない。
「そんなこと言わないよぉ~(笑)」
それはそれでいい。彼女の性格の表れでもあり、ポツンと佇む系にあるべき姿。
これが、毒舌で一世を風靡したあの日の道重なんかであればさらに繋げて
「ココ(顔)とかね(笑)」
なんて相手の顔を指さして返しただろう。
そこでまた
「なんてこと言うんだ!」
なんてれなぴょ…っと失礼、優木かなが猛んでわちゃわちゃしていつまでも面白く出来る。
佐々木さんや大森さんは確かに静寂型のアイドルとしていい線はいっていた。
定期的に立つ「佐々木・大森、なぜ人気出なかった」くだりは、彼女たちがアイドルとしていい線いっているからこそでもある。
しかし、佐倉薫と比較して浮き出る弱点、そう、面白くない、面白く出来ない、ただの大人しい子、なんか暗そうな子、悲壮感漂っちゃってる子は、ポツンと佇む系にはなれないからしてこの点で躓いたよね。あわせてAKBグループはとにかく人数が多すぎて、なお目立たないし目に付かない、他のメンツらが命の炎煮えたぎらして猛んで活動している端にいては、暗く悲しく物悲しく映ってしまう。(それを良しとするのは結局ニッチ埋めでしかなくなおたろー的に広くは刺さりやしない。)
この点が常々述べてきたバラエティ重視するべきと関わる。
NMBの話をすれば面白可笑しく出来る須藤凜々花と、単に暗い子に映ってしまいがちな太田夢莉との差からも分かる。NMB(大阪)だからなのではない、明るさ、ユーモア、おしゃべり、楽し気って、やっぱり何にだって大切なこと。
別に、佐々木・大森さんに対して「お前らはこうだ!!」
と決めつけて言いたいのではない。
彼女たちの過去の活動で表現して魅せたそれらが物語るように、その点を欠いたことで惜しかったねって。
それでまたこの席(ポツンと一人佇む系)が(たぶん)AKB的にはガラ空きだから、ここに座るメンバーが現れれば容易に人気を得るだろう。
それとついでに…
声優陣の楽し気な活動観に触れてみた後、NMBのまおきゅんに思いを馳せると、彼女の焦りや悔しさ辛さがヒシヒシと伝わってくる。
はいて腐るほどあるゴミの山の如くにある数多くの作品群のそのすべての「声」というものは、街行く人に声かけて「ちょっとこのキャラクターの声やってくれませんか?」なんて頼んでやってもらった声ではない、すべてが大なり小なりの事務所に所属している「声優」たる業なのだと気付かされる。
三田麻央の一人や二人入り込める隙間くらいあるやろ?
なんてついつい思ってしまうほどに、なんとかまおきゅんたどり着いて欲しいと思うよね…。