AKB48×ハロプロ 現代アイドル読解学

今をときめくアイドル達の輝きとそれらを取り巻くヲタらの生態を研究・観察していきま~す。

『輝け!AKB48歌唱力No1決定戦』NGT48菅原りこが良質なアイドル歌手だった件。。。

 

真っ暗な部屋で

 

ベッドに横たわって目を閉じて

 

耳だけを集中して

 

上部(寝ている頭上)から音を流して音だけを聴くのが自分流で、雑な粗末な音楽の聴き方はしない。

 

 

お前の我流なんてどーでもエエわ気色悪っ!

 

と、誰もが思うだろう?

 

そうやって「AKB48歌唱力No1」のNGT48編を聴いていると…

 

 

さ い ご の~♪

 

 

 

ゲッ!?

 

って、思わず飛び上がってしまったよね。。。

 

天井にバチィィィンン、、、ってぶつかるくらいに飛び上がってしまった。

 

誰やねんっ!?

 

って、思わず飛び起きて、画面映してチェックしてしまったよね。。。

お前かいぃぃ。。

NGT48のThis is アイドル!菅原りこ。

菅原は菅原でもSKE48の菅原(すがわら)とは違う方の菅原(すがはら)だ。

 

こりゃビックリ!

なんていい声色、出だしバッチリ歌い出しバッチリの音程、すごく良かった。

それでまた「アイドルらしさ」がきちんと感じられるタッチで、ちゃんと聴ける歌声になっていた。

 

なんてこったい。。

NGTと言えばヲタらのご意見・ご感想で歌と言えば「菅原りこ!」なんて欠片も聞いたことも見たことも無かった…いかに彼らのご意見・ご感想がくだらないかを伝えてくれると同時に、こんな発見こそ、「見つかる」と云うにふさわしいのではなかろうか?

 

にいがったフレンド!での彼女の活躍を眺めていて常々思っていたこと。

この人は、一見すると、か細い、か弱い、女の子女の子の、弱弱しい、乙女チックな、そーゆータイプだからして、彼女の歌声は鼻にかかる高音系のアイドルあるある「道重ボイス」になりそうなところ、にいがったフレンド!でのしゃべりを聴いていると、オペラボイス的に、腹から声を出してある程度猛ることが出来ているんだよね。

と、いうことは…この人の歌声はどうなのだろう…という疑問。

しかし悲しいかな口パクアイドルゆえに生歌披露の場面がなかなかムズカシイから漏れ出ることも無い。

で、その正体がついに明かされたということだ。

 

素晴らしい歌声だったね。こりゃたまらんワハハハハ。。。

これは何度も何度も聴いてしまった、ちゃんと聴けるレベル以上だから。

 

 

さいごの 一秒まで 集めたの思い

 

かとみなアクセル感想文でも強く強調した何よりも大切な出だし歌い出し、一発目ド頭、バッチリ、音直撃で文句なし。

 

この「さいご」はたまらんよね…。

いきなりブワァァァって鳥肌鳥肌。

まさに「さいご」、これこそ「さいご」、そしてこの「さいご」は終わりとかおしまいの最後の意ではなく、一かけらも残さず余さずに拾い尽くした丸ごと感。この「さいご」には悲しみは寂しさなどない、丸ごと全部が詰まった「楽し気」なんだよ。

それで菅原りこの「さいごの~♪」がなぜ素晴らしいかって、一かけらも残さず余さずに拾い尽くしてきた「歴感」「経てる感」が伝わってくる歴史的重厚感があった。それでまたその厚みは、女の子、女子、女性に寄った、女性側からの女性ならではの経てきた重み(絵)を感じさせてくれた。出だし一発目にいきなり。

これで思い出すのが、スタジオジブリ作品で、「もののけ姫

当時公開されたリアルタイム、キャイーンの天野くんだったかな…ウドだったかな…勝俣だったかな…ウンナンファミリーの芸人のその辺りが、当時もののけ姫を観て、初っ端数分観ただけで「この後ものすごい物語が繰り広げられるのか!」って勝手に想像して大感動して大号泣してしまったと、ナンチャンが語っていたように、「さいごの~♪」出だしいきなり心を奪われる(心奪う)素晴らしい歌い出しになっていた。聴いてるこっち側で勝手に物語がもういきなり、動き出してしまった。

 

の思い」の込めは、個人的には無しだけど、それが彼女の気持ちや込めたるならばそれはそれで良い。手も動いちゃってるし。「こっ」の力強さが残念で、「さいご」同様スッと「この思い」を込めて入ってくれたら心地よかったかなぁ。。

 

積み重ねてきた毎日 キミのこと 裏切らない

 

「つ み か さ ね て き た」

ここもまた経てる感がいいよね。

菅原りこの美的面や歌声と相まって、

 

「毎日は」

菅原りこの歌声の色をわかりやすい形で知れる、聴ける場面。

かとみなのアクセルでもわずかにあった「女の子(その人自身)の歌声の色」がパッと光輝く瞬間。

1800年代後半アメリカ西部開拓期の、とある大草原の物語「大草原の小さな家」にて、お年頃の16、7歳のローラ・インガルスが、長い長い降り続く雪の季節、たまにの晴れ間に、思わず大きな声を出して「母さん見て見て見て!太陽よ!」なんて嬉しさのあまり猛んだ。するとローラの母さんは(母さんは母さんで嬉しいはずだ、しかしそこは冷静に)「ローラ。女性の声というものは、神様がお与えくださった素晴らしい武器なのよ。もっと大切に扱わなければいけません。」なんてたしなめるシーンがあって、なんてこったい。。。そんな時代のアメリカでも、女性の声の魅力や価値は今と変わらずなんだなぁ…と、(英字の)本を読んで感動したことがあった…。

あまり極端な例を持ち出すと馬鹿丸出しになるけれど、例えばスティービーワンダーみたいな人はもうずっといい声でそれはそれは素晴らしい歌声で歌を歌うワケだが、日本人の、こーゆー、侘び寂を理解できる日本ならではと言っては何だけど、混沌と淡々とした中にあって、パッと瞬間光る「色」「その人の歌声の魅力」が見えるのも、アリかなと思う。雲隠れした月…からの~、同様、神様がお与えくださった女性の声の魅力がパッと光る良さ。淡々との場面が、道重的に下手すぎては良くないけどねもちろん。

ここまでの菅原りこはきちんと歌えているからして、「毎日は」で炸裂する菅原りこの色見えは、心に響いて感じ入ることができる。

 

「裏切らない」

ゴニョゴニョしちゃって残念。ゴニョゴニョするとどうしてもピッチがねぇ。。キープ力がガクンと落ちてしまう。

裏切らないんだから裏切らないって伝えてほしいよね…。疑心暗鬼な裏切らない…みたいな?

こここそ、「この思い」的に込めてもらっても良かった。そっと、密やかに、それでも力強くに。

 

まぶしい 日差しがーぁ 西日に変わってくよ

 

最初の歌う前の伴奏中に、チラっと横目で右の方に視線を移して、集中してないのかなとか、緊張してるのかなとか、そんな場面があったけど、「まぶしい日差しが…」ここでついに、いよいよ、彼女自身の頭と心の中に絵が描かれて映像が動き出し、憑依し一体となった瞬間じゃないのかな?と、見受けられるそんな場面。ある種の正解とはだいぶかけ離れている「眩しい日差し」になっているけれど、審査員の誰それが「独自の世界観を醸し出して…ナンチャラカンチャラ」でいいのだから、モノマネバトル大会ではないのだから、これはこれで良し。

それは思うに、歌声からではなく、表情から。よって、上で最初に述べた真っ暗な中で聴いていたらまだそれが伝わったかどうか…クッ、、、「さいごの~♪」の衝撃でついつい飛び上がって映像込みで聴いてしまったから、歌声だけの聴きが出来ていないことが個人的には失敗してしまった。。。

 

「日差しが…

かとみなアクセルでも述べたけど、吐息的に「あ」が柔らかく弾けている。

リズムやアクセントとなって「西日…」に繋ぐから、そーゆー意味でも効果的。グルーブ感の生まれ出の一端でもある。

イマドキは廃れに廃れた「ボーカロイド」なんてものに、音符打ち込んで歌わせたとて、なんてしょ~もない、なんてダサい、なんて聞き心地の悪い、なんて聴きどころのない、無味無臭な平坦な歌なのだろう…と、最初はびっくりするんだよね。

色々な(技術的な)施しを経て、仕上げていく、その一つがリズムやアクセントであり、吐息で繋ぐグループ感であり。「ブレス」も然り。

別に、女の子の吐息フェチでは、ない!

 

二度とない青春の瞬間(とき)を らしてるよ らしてる~~~

 

このパートは惜しいかな、声が震えてしまっていて音程ピッチ問題が常に彼女を襲うのと(言うほど酷くはない。)、菅原りこの声の魅力の良さがチラホラと垣間見える箇所がいくつかあって、ゆえに惜しい!

個人的に感動したのは、素人型アイドル女子あるあるで、歌声を延ばしに延ばす場面で、揺れに揺れてキープできない系が、多いように思うんだけど、ここでの「照らしてるよ~~~~~~!」は、非常に良しだ。

サビへの導入箇所でだからと言ってうきゃぁぁぁぁ🎵ってはしゃぐんじゃない、二度とない青春の時を照らしているのだから、淡々と、密やかに、それでいて高鳴る照らしであってほしいはず。

 

ヲタらに高評価のNGT48歌姫「佐藤杏樹」が良くなかったのは、こーゆー大事な場面で精彩を欠いてしまったこと。声の裏返りやキープ力の劣り、のびやかで、しかも「大事な場面」でやらかしてしまったから、総体的にボロボロのスカスカに、見えてしまったんだよね。そーゆー「悪い」印象を与え残してしまった。

でも菅原りこは大丈夫、彼女は上手くやった。

上手く回避したという意味で「やった」のではない。表現するものとしてきっちりと歌うことを「上手くやった」のだ。

この差は大きい。

 

まっすぐに 夢を追いかける キミの瞳(ひとみ)が大好きだ

 

これはダメだよね…これはダメ。。。

これはファンになる。。。これはアカンて。。。

松本人志ワイドナショー

「アイドルで売れてるやつはたいてい頭おかしい」

と述べていたけど個人的にはそれは正解であり且つ誉め言葉として捉えるべきだと思っていて、バラエテイであれダサイい衣装着て歌い踊るのであれ、「アイドル」として魅せてるヤツほど、どこかイカれてる。そのイカれとは、悪い意味ではなくて「突き抜け」を意味するからして、こんないち企画、緊張感漂う場の歌でも手ぶりを以ってまっすぐ前を見つめて高らかに歌い上げた表現することに貪欲な姿勢を魅せた菅原りこ、いい!グループは違うがいつでもアイドルであることを忘れるな!ももちイズムの様でもある。

このダサさ、寒さ、恥辱さは、キレイな歌声で回避できている。

これが、歌がヘボかったら、「あ~あ;;」の恒例のワキ毛見えちゃった鼻毛見えちゃった幻滅系であっけなく散っただろう。でも違う、非常に良く歌えていた。聴ける。ちゃんと聴けるレベル以上だった。

そこに手の動きが加わって伝えに来る攻めの姿勢、これは心奪われる。「アイドルたる」の炸裂場面。

ひとつ前の、上の「二度とない青春の~♪」の胸に手を当てる仕草は、若干キツい。チグハグ。しかしここは振り切った。突き抜けた。行き切った。あわせて歌が良かったからサマになったし、ちゃんと引き込まれた。

 

裏声(ファルセット)が大人びた色でとてもきれいで聴き心地良し。

これもアイドルたるとして必要な要素で、人身売買されて踊らされて歌わされるロリ的幼女であってはいけない、大人な女子でなければならない。かといって「大人な女」でも(表現すべき楽曲にもよるだろうが)、よくない。

菅原りこの歌声の良さパート2となる聴きどころ名場面だ。

揺れるピッチ問題は常に彼女を襲うが。。。細かいことはいいんだよ!

 

瞳(ひと)の箇所も、これは個人的好みで感じ入った箇所。

 

「大好きだよ」

はもっと女子感炸裂させて「大好きだよ!」って、深みを増し増して込めてほしかった。柔らかな、遠くから見つめる系も面白そう。

こここそ、アイドル女子の歌の魅力を込めたるが可能ななんて最良な場面ではないか?

語尾の「よ」は、すごくキレイな音なんだけどね~…ちょっとブレスのいっぱいいっぱいなところで短くいき急いでくちゃってるのが惜しくもある。

 

そんなキミと 一緒に いれること 今は大切にしたい

 

「いれること」

揺れるピッチ問題の限界突破!

惜しかったね~(汗)

そんな困るような音かな?

なんて思ってこの箇所を歌ってみて気付く

裏声でいくかどうかのライン上で、どっちにひっくり返るかで困ったんだね。

裏いくと楽で、しかしそうではない箇所。キープの崩壊線上。

これは残念ながら技でも味でもなくて「下手」になってしまう。

(この歌だけではない、もちろんこの歌も込みで)普段の歌い込み、鍛錬不足が垣間見れる、バレる瞬間。

 

涙だって 笑顔だって がむしゃらになった証だよ

 

普通に泣きました。

いい!

「がむしゃらになった証だよ」

あのー、「あーなたーのー夢をー、諦め―なーいで―」の、アレみたいな世界観を彷彿とさせる「がむしゃら」がまずは良かったのと、「なった」の「なぁっ」が、いい。。菅原りこの歌声の色がここでも光り輝く。

道重ボイス的に甲高い歌声じゃない。きいろい声ではない。熱のある、吐息のある圧のある温もりがある。

本家のがむしゃらよりめっちゃ好き。。ウキィィ。。。

 

そんなキミと 一緒に 生きること ボクは誇りに思うよ

 

「生きること」

前の「いれること」と同じ。やっぱりこのラインが苦手なんだね~。

めちゃめちゃ重要な魂込められたるワードでヘニャヘニャ~はよろしくない。。。

ここは頑張って克服して、挑んでもらいたかった。

 

 

かとみなのアクセルは、身内楽曲でとっかえひっかえやってる程度だけど、これは、ある種の正解アーティスト、歌手、ボーカルの楽曲で、どうしてもそことの比較にもなってしまいがちだけど、モノマネバトル大会やってるんじゃないんだから、NGT48のアイドルの菅原りこが歌う「瞳」で、何が見えるかな?聴けるかな?でいいはずだ。つまりどういうことかって全く新しい新曲が出来ましたと、さてその新譜をそうだな~…菅原りこに歌ってもらおうか、となった時に彼女に期待されている表現力や世界観の醸し出、歌声と色と展開力の、その投影的に見れば(聴けば)いい。

全体的に若干どんより暗い印象と、序盤箇所の「眩しい日差し」失敗の難しさで、絵的に明るく輝く場面がなかなか見えてはこなかったのが残念。表情を見ずに歌だけ聴いて、後半の光が感じられるかどうか…。

しかし、審査員のオッサンが(たぶん菅原りこに関してではない別のところで述べていた)「独自の世界観」という面で、菅原りこの、まさに目に見えてるこの外見の女の子の、「がむしゃらになった証だね、頑張った証だよね!」っていうキャラクターから繰り出されるメッセージ性が、個人的にはたまらない。

景色や背景の描きには失敗しているかもしれないけど、なにかこう、青春の、高校生の、お互い不器用でお互い未熟だけど、互いに励まし合い力づけられて勇気づけられる「青春時代の男女の魔法」が感じられた。

 

歌唱の技術点は「いれること」「生きること」を以ってはかることができるし、表現力は「がむしゃら」からみれる。

声量云々表面上の基礎的なダメ出し箇所はいくらでもあるけどそんなことはどーでもいい。

それはまさに(菅原りこ問わず)彼女たちが歌に対して真剣に取り組んで鍛錬して積み上げていかなくちゃならないし、それを怠ってきたツケのバレでもあるからして。

大切なことは、菅原りこ、いいモノ持ってんじゃん!

って。

良い歌声、キレイな色持ってるじゃん。

って。

 

宇多田ヒカルのように「うらぁぁぁ!」ってやらなくてもよい、そう、まさにチーム8の横山由依のダンスのように、それらはまた然るべき側の人たちがやるからして、そうではなくてあくまで「This is Japaneseアイドルたる」であるライン上で、それでいて女子のワキ毛鼻毛を見せつけるかの如く幻滅与える「下手クソであってはいけない」という絶妙のラインに菅原りこはいるということ。

 

 この手のアイドル歌いでふと思い出すのが、SKE48の白井琴望のゼロポジ大会。
すごくアイドルチックでアイドル歌いとしては良かった、それをまた(その時の)審査員の人も褒めていて、ところが面白いことにその後の感想述べるインタビューで当の本人は「アイドルっぽくならないように注意して歌ったんですけどー(汗)」なんて述べていた、残念。。。めちゃめちゃアイドル的だったその歌唱と比較して、こちらもThis isアイドルの菅原りこは、歌声の震えが酷くなく、一定の安定感があって聴くことが容易い。白井琴望は(それはそれは緊張もしていただろう残念ながら)歌声が震えすぎていて、弱弱しかった。ピッチの揺れは音程を引っ掻き回すからして、音痴的に聴き心地がどうしたって悪くなってしまうものだ。
そのこっちゃんの歌と比較すると菅原は上を行って安定していて、「照らしてるよ~~~~」ののびやかな場面が大きなポイントになっている。キープ力。
いうまでも無く鍛錬反復はまだまだ必要だろうし、彼女が歌うことに興味を以って努力に臨めるかまで込みで、イマドキ10代女子の自称アイドル勢の歌に関する向上心の養いは難易度が高い。それでまた困ったことに生歌重視の生歌がきちんと評価されて披露される戦場にいるハロプロと違いAKBというものは、歌の練習する暇あったらshowroomだ!オッサンの手を握れ!という世界だから、より一層難しい。

いいもの持っているのは間違いないけど、この企画が終わって「はぁ~、終わった終わった」なんてプレッシャーから解放されてそれで、チャンチャン🎵で終わってしまいガチなのが女の子。祈りこ~♪とかやってないでもう既に第二回次大会に向けて走り出していなくちゃならないところ、そうはならないのもまた「女子やな~…」っていう。。これがそもそもが、「生歌を疎かにするスタイル」でやってきたAKBたるでもあるワケだ。

  

そうはいっても菅原りこに限らず、ダンス同様、みんないいもの持ってる連中だらけで、磨けばいくらでも輝く言い方はクサいが「ダイヤの原石たち」がゴロゴロいて興味深い。
NMBの明石家さんまみたいな名前の子と、HKTの超スーパー博多美人の神志那結衣と、菅原りこで三人姉妹のナンチャラユニット組んでやってもらえないだろうか…ガチャガチャ動かなくていい!黙ってじっとして歌い聴かせてくれればそれでいい…そんなアイドル歌手がいてもいいはずだ…?