AKB48×ハロプロ 現代アイドル読解学

今をときめくアイドル達の輝きとそれらを取り巻くヲタらの生態を研究・観察していきま~す。

りりぽんの名場面集その1

 

ドラフト1期生でNMB48に加入した須藤凜々花の名場面特集をいくつか見ていきましょう。

 

まず最初は…「りりぽんのトップ目とったんで!」より。

たぶんEP16回にあたるゴールデン2時間スペシャル!

月2回のオンエアと考えれば開始して8か月…あまりの人気ぶりに視聴率も上々で、ゴールデン2時間スペシャル!なんて展開に持ち込んでしまったあの日のスーパーアイドルりりぽんだ。。

ゲストはりりぽんが愛してやまない福本伸行先生(漫画家)と、一流芸人の雨上がりのほとちゃん、そしておまけのまおきゅん(NMB48三田麻央)。

この人選がまずは素晴らしかったよね…スペシャル感満載で、観るもののみならず、主役のりりぽんの心と気持ちの高揚にも効果的であった。

それはもう50、60のオッサン丸出しの学校の地理の先生に恋してしまうりりぽんなのだから、恋する福本先生と麻雀を打つときの始終恋する乙女化したりりぽんの表情を堪能できる面白さに加えて、この回では本当に素晴らしい「りりぽんの麻雀の打ち」が炸裂していて、彼女の実力以上のものが確実に引き出されて、麻雀番組としても神回となった。

誰の助けを借りるわけでもない彼女自身の力で、終盤まで福本先生と1位2位を争う激闘を繰り広げていて、1位になったらのご褒美「番組が地上波へ!」が、ホントに実現するんじゃないか!?ってそういう面でも観ている者たち特にりりぽんのファンやヲタたちはハラハラドキドキ楽しめた回でもあった。

 

もうこの回そのものが須藤凜々花の代表作であり、名場面でもある

…のだが、その中から選りすぐりの1シーンを取り出すとしたら…

一、二、三、と戦って四局目。

ここまででもう既に壮絶なリーチの掛け合いバトルとなって見応え満載だった。

我らがヒロインりりぽんも上がり(勝ち)を得てトップの先生に喰らいつく。

 

さて、そんな四局目でりりぽんが

「あ~、緊張する~(汗)」

すると一流芸人のほとちゃんが

「も~、緊張は無いやろ?四局目やし、ここまでしっかり打ててるし(りりぽんリーチをバンバン放っていた)。上がってるし。」

その流れでりりぽんが

「はい。…あっ!」

って、言うんだよね。

この、結構大きめな声で思わず出ちゃって系の「あっ!」が面白くて興味深くて、自分は心魅かれた名場面となって映る。

 

須藤凜々花って、本当に素晴らしく謙虚な姿勢で低姿勢で腰低くて、ホント、その年に似つかわしくない?くらいに見事に謙虚な姿勢で芸能界の仕事に臨んでいたアイドル女子なんだよね。

結婚のくだりを以ってあ~だこ~だと様々にまき散らかされてはいるものの、そもそもがネット上の汚物保管庫に正解など載るわけがないのだから何の参考にも見栄えにもならない。

観ていて分かるのはただ唯一に「コイツはなんて低姿勢で謙虚な女の子なのだろう…」という、とてつもなく激カワでありながらにして低姿勢な、しかしそれでいてそれは「はいご主人様♡」的な従属感ではなくて人としてあるべき美しい姿、心、精神の自然な面による謙虚さなんだよね。

彼女は何でも「○○先輩」と、先輩を付けて呼ぶんだけど、癖かもしれないし、キャラ付け的な面もあるかもしれないけど、根底にあるのは彼女が哲学をガチで愛して学んでいるからこそ、自分は所詮は巨人の肩の上に乗る小人であると身の程を弁えて、巨人(先輩、先駆者)に対して敬意を表していることの表れでもあるんだよね。

SKE48のりりぽんと同期にあたるドラフト1期生惣田紗莉渚は、先輩たちから「媚び売りの少女」なんて言われてからかわれていたようだけれど、りりぽんもまた先輩たちから「太鼓持ち」なんて言われもした。

でも須藤凜々花の内に潜む意味はSKEのとは意味が違っていた。

 

それで自分はりりぽんの才能やユーモアや、しゃべりや、やらかす感じ(ゲロとか下ネタとか)を楽しむ中で、やっぱり何を置いてもどんな時でも目が行くのは「りりぽんの謙虚さ」だったんだよね…。

やっぱり心のどこかに演じている部分が彼女の中にあるのかどうか…語弊はあるが「良い子」を演じて魅せている部分があるのかどうか。

彼女の性格からして、そのハチャメチャな感じからして、また10代女子なのだからして、(ガチの)口の悪さや態度の悪さが、顔や表情に出て来てもいいはずなのだが…、自分が観た作品集の中ではなかなかそーゆー所がまるでないのが不思議で、だからそれがもう逆に腹立つ感じにまで昇華しちゃって、どっかにあるだろう、なんかはあるだろう…と。どっかにはあれよ、とまで。

 

だからAKBINGO!なんかでも素人軍団の女子の群れだから、わちゃわちゃはしゃいでいて、ふとした何気ない一言に傷ついたり、イラってしたり、メンバーに対して、MCに対して、「チッ」とは言わないけれど、そーゆーリアルで生々しい「女子たるゆえん」みたいなのがこぼれ落ちることって、AKB48とかは結構あるよね。

あの~、AKBのお泊りっ!で、温泉旅行企画の終盤戦、浴衣着て、トーク大会開いてて、谷口めぐが咳が酷くて、MCおぎやはぎが「谷口、次咳したらお前アウトだからな。」「ゴホッ」「谷口アウト~、お前出てけ」ってなって、泣いた場面とか。

そーゆーイラっとか、チッとか女子たる女々しさ、弱弱しさとか、悲壮感とか、須藤凜々花はほとんど魅せなかった。顔に、表情に出てこない。

 

それでここでようやく「はい。…あ!」に繋がるんだけど、ほとちゃんが「(りりぽん)勝ってるし」って言った時、「はい。」と返事をしたそれは、謙虚さから逸脱してしまった返答となってしまったことに素早く気付いて、次に出たのが「あ!」だったのかもしれない。

 

「あ!」

の後のりりぽんの表情はというと、首を振って、「そんな、全然です。」と、ほとちゃんの言う「勝ってるし」を否定するようなへりくだり具合だったからして、でも実際、現実的にりりぽん勝ってるし…。どう見たって勝ってるしりりぽん。そこで「いいえ」とあえて首を振りほとちゃんの言葉を否定しに行く姿勢が、謙虚に映る。

 

それでまた「あ!」に戻るんだけど、やっぱりりりぽん自身、心のどこかで意識的に

(我こそは須藤凜々花須藤凜々花よ、いつでもどんな時でも謙虚であれ。決しておごり高ぶるな。常に謙虚な姿勢でおるのだぞ。一寸たりとも調子に乗ってはならぬ。常に謙虚であれ。)

と意識して謙虚なりりぽんを演じていたのではないだろうか…というのが垣間見えた瞬間だったんだよね、自分の中で。

ドラフト会議での須藤凜々花の礼儀正しさとか動きとか、なんかぼんやりと観ていると、「育ちのいいお嬢様で、そ~ゆ~のが自然とできる子なんだろうな~」なんて思わされる一方で、ネット大好きりりぽんの、口の悪~いはしゃぎ散らかしようが出て来ると、ふむふむ…だとしたら、どっち?

 

ほとちゃんの「勝ってるし(だからもう緊張なんてしてないでしょう?)」からの、「はい。…あ!、いいえいいえ、まだ私は緊張しています。」という意味での、あ!そうじゃないんですぅ~。。。的な、首振りという可能性も無くはないけど、そう観ると言葉のキャッチボールとしてちょっと変な気がする。

まさに大巨人、一流芸人のほとちゃんと、福本先生がいる前で、相手にして、まだ始まったばかりの序盤も序盤で「勝ってるよね、はい。」は身の程知らずで失礼にあたると察して素早く「いえいえ、そんなことないですよぉ~。。」の、首振り&「あ!」の方がしっくりくる。

 

 

だから何やねん!?

 

って話なんだけど、これがだから面白いよな~と(すでにアイドル業を卒業しているが)須藤凜々花を後追いで観ていて常々感じるところ。

AKBは自己プロデュースだ!

とかなんとか言っちゃってなにが自己プロデュースだよバカじゃねーの、なんて思ってしまう反面、須藤凜々花の謙虚さを観ていると、自己プロデュースで作り上げた「NMB48のアイドル須藤凜々花」のキャラ(特徴、オリジナリティ)付けの一つの策とかそんな感じだったのかな~なんて思いもしてしまう。

端々で魅せるテンション高めからのはしゃぎっぷりとか、ネット大好きりりぽんらしいディスり込みとか、劇場公演のマイクパフォーマンスとか。イマドキの未熟で痛さ爆発系女子!って場面もちゃんとあるんだけど、それでいて礼を失することのない「他者への思いやり」とか、「○○先輩たちへの敬意」だけは、揺るぎなくしっかりしている、この面においてだけはとにかく隙が無い。

 

常に自分を下へ下へ、日本で最もバカばっかり48人のNMBの先輩たちがバカのくせして偉そうに何言って来ても、来られても、されても、常に自分を下へ下へと追いやって反抗心をむき出すことなく嫌な顔一つすることなく「○○先輩。」として謙虚にふるまっている。

対局終了、りりぽん2位!惜しくも地上波ならず。。。

 

最後の感想場面。

福本先生1位!お~さすがです。

りりぽん2位!惜しかったね~健闘したね~パチパチパチ

3位、ほとちゃん!

いや~悔しいです!

なんて言ってると、福本先生がほとちゃんの肩に触れて

「言っても蛍原さん、りりぽにも負けてるからね(笑)」

『あはははは(笑)』

「ホントそうですよね(笑)ボク負けてるからね。言うても(りりぽん)2位だから、すごいよ」

ってところでもちゃんと、「いえいえいえ、そんなことないですよぉ~。。」って、手を振るりりぽんの笑顔がとても印象的だ。

 

笑い的には全然思いつく、まして相手は芸人さんだし、一流芸人さんだし、福本先生のフリでもある、みんながほんわか楽しい幸せな空気に包まれているし、りりぽん間違いなく大健闘して麻雀界の神様?福本先生も大満足のご様子で、この場の空気があたたかく柔らかなそこで起こっている「笑いのチャンス」なのだから、「ですよね~www」なんてブッ込んでみても面白い場面。

でもりりぽんは、そーゆー系統のブッ込みはやらないんだよね、不思議と。常に謙虚さを出していくという、彼女のここがホントに興味深い。

そもそもがほとちゃんなんてテレビで見てるレベルでめっちゃエエ人なのだろうと思うし、だからそれで「調子に乗って」やらかしにいく、のではなくて、謙虚に、謙虚に。りりぽんは目先の笑いとかではなくてもっと広いところを遠く高い位置から見れているのだろう。

「ですよね~」で笑いは間違いなく起るだろうが、じゃあそれで?って。

はたしてそうなのか?…って。

「ですよね~」からの広がりについて思いを馳せれば謙虚である方が望ましい。

というのを先読みで察知しているというよりは、「謙虚であることが波風立てない」という引き芸と化して彼女に身に付いているような気がする。

 

たとえば松井珠理奈とか、偉大なる先輩やレジェンド級の先輩たちに対しては、あるいはもっと広く芸能界の大御所とかにはそうできても、総選挙で順位が低い先輩とか、雑に扱っても良さげな芸人風情とか、AKB48中西智代梨とかが分かりやすいけど、「無下」や「雑」や「いじり」がその人にとっては良いのかもしれないけど須藤凜々花はそうではなくて常に根底に「謙虚さとリスペクト(敬意)」を持っていて、観ている側からもそれがはっきりとわかる、それでいて面白おかしくいじり倒せる、笑いにできる、笑いに変えられるというここが、彼女の才能の最たる魅力であった。

※よくりりぽんで「炎上!炎上!」と言われ(ていた)ようだがそれは「アイドル達を攻撃してくるネット上に湧き出る知的弱者の愚民ら」との戦いの末であり、いくらりりぽんで「愚民先輩!」「放火魔先輩!」とは言わないわけで炎上云々とりりぽんの謙虚さを考慮するのはまるで意味が無い。

 

入れ込むタイミングを逃してしまった…りりぽんの美的面の魅力シーン

 

上の「あ!」の会話の続きで、ほとちゃんが

 

「何気にオレだけやで?何もしてないのは」

『あははははは(笑)』

 

って、番組開始30分にしてようやく初笑いを得た一流芸人ほとちゃんの活躍場面にて。

 

「なんもしてないのは」

って言われたりりぽんが、「えっ!(笑)」ってなって口元に手を当てて、笑うというよりはこれもまた「またまたそんなことおっしゃって、御冗談が過ぎますよ(汗)」みたいな、なんかそんな感じの表情の時、りりぽんの眉がクイっ!って上に上がって目(瞳)に表情が付くんだよね。

 

美人の特徴で、眉の動きにすら美的表情が現れる。

童顔キュートなラブリー顔がそのままカワイイままで大人になる女性と、超絶美人へと変貌を遂げる女性との見分けは、眉の動きによく出てる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いらんこと書いて大切なことを書き忘れてしまいました。。

もともとは西野未姫の、身振り手振りのウザさ爆発に対して、「自己プロデュースなりキャラづくりなり、信念や好きなこと、やりたいこと、魅せたいこと、口だけじゃなくてガチなこと」そういうものはやり続けることで血となり肉となりその人の実となって身に付いて、案外周りからも受け入れられたリ認められたりするのではないか…道重さゆみ嗣永桃子もそうであったように。

自分も確かに西野未姫の目障りな身振り手振りを交えたトークはとても観るに堪えない酷いもので西野未姫復帰後のナカイのナンタラでの(脇汗佳代との共演)身振り手振りトークを観た時は「いやいやいや、その策アカンでミキティ。。。」なんて吐き気を催すくらいに気持ちの悪いもので誰がそれを見て楽しめようか?

 

と、思ったものの、案外やり続けることで受け入れられて…

とここまできて気付くのは、りりぽんの美しい謙虚な姿勢と、観心地の悪い西野の身振り手振りとで、合致しないなぁ~。。

 

そこでもう一つのオチとして

りりぽんの謙虚な姿勢は真だったからこそ、多くの見る目のある人々から須藤凜々花は愛された。

あの場面、この場面、どの場面、いつも謙虚で低姿勢でニコニコ笑顔を振りまいて楽し気に悲壮感皆無に活動していた須藤凜々花の姿の印象が強い。

りりぽんがちゃらちゃらヘラヘラしているようなしょ~もない女子だったら、はたして福本先生が自身の作品の最新作の帯に、この子に書いてもらおう!なんて思い立っただろうか?

 

須藤凜々花の結婚宣言ですごく面白い現象があって、何はともあれやらかしたのは須藤凜々花なのだから、あ~だこ~だと言われて一理あるセリフは山とあるはずなのに。

今までのりりぽんの謙虚で低姿勢なスタイルが、そーゆーものたちから守ったんだよね。

ファックマン優子や陽菜とか、岩尾とか山ちゃんとか…その辺の気色の悪い芸人風情の物言いとか、間違ったことをしたのは間違いなくりりぽんのはずなのに、やればやるほど、言えば言うほど、彼ら彼女たちが悪者になっていったんだよね。

 

どんなに頑張っても、りりぽんを悪者にできないという現象。

 

そうさせたのは、須藤凜々花の頑なに謙虚で相手を思いやり敬意を払って対面してきたブレることのないそのスタイルが、悪者にさせてくれなかったんだよね。

そしてどうなるかっていうと、多くの心ある人たちは、りりぽんの側についてくれるんだよね。

間違っても福本先生が「チッ、帯書かせるんじゃなかった」

とは思わないわけで、こっひそひっそりとエールを送っている。

あんなことしたりりぽんだけどこんな良いところあるんだぜ!こんな良いことしてるんだぜ!劇場一人人知れず掃除したりしてるんだぜ!

みたいな、ある善良な一部、一場面を切り取ったちっちゃな盾、じゃなくて全てを包み込む、あるいは支える底や芯からだから、目のある心ある人々には美しく映るし、まして対面して仕事をした者なら誰一人として彼女の姿が悪く映ることはなかったろう。

 

総監督になりたいだの、AKBをどうこうしたいだのSKEがどうしただのと、身の丈に合わないことを偉そうに語るのではなくて、りりぽんのように謙虚に謙虚に低姿勢で自分を低く低く虫けらの如く、かつ、自分の夢を一途に見つめて虎視眈々と楽し気に活動している、そういうメンバーで満たされることが、広く多くの人たちから好かれ愛されて、グループ再興の道をつくる。