【尾形春水×道重さゆみ】アイドルのオーディションを受けたのだから…
田舎のお嬢さん路線を推すハロプロ内ではひと際その美しさが光る
作り手の遊び心が感じられるモーニング娘。’17の「若いんだし(2017/10)」PVの1シーンだ
作り手はこうやってオタクへメッセージをちゃんと飛ばしていた。
尾形春水を純粋な目で見つめて応援してきた多くの鋭いヲタたちは、既に容易に予期していたことでもある。
大袈裟に言ってしまえば、「次は合格できるといいね」「頑張れ!」って…そういう向きで見つめていた。
ここで散々語ったアイドルとは、一時代に咲く花である
と。
多くのちゃんとした目で見つめて応援してきた純粋なオタクたちは、尾形のアイドルの終わりを予期して悔いの残らぬように全力で応援していた。
それでいいのだよ。
それだけでいい。
凄く面白いのが、尾形春水が卒業発表する直前のいい間で、各種サイトでは「最近はーちん歌とダンスが上手くなってきてるね!」「美しくなってるね!」ってそんな話題で賑わっていたこと。
ちゃんと彼女も、「下手は下手なりに」成長していたんだよね。
彼女の卒業発表を受けてから、やんややんやと言ったとて…
ハロヲタらしくないよな~というガッカリ感はあるものの、こういう方向に向いてるコメントもあるのは事実。
彼らが勘違いしているのは、尾形春水はアイドルのオーディションを受けて合格したのであって、アルバイトや社員になったのではない。
尾形春水は、アイドルになったのだ。
「人生をモー娘。に捧げられないとか、ファンを馬鹿にしてない?」
だって…
「モー娘。に入んなきゃよかったのに」
だって…
結局こーゆー人らってのは、自分の不幸せな暮らしの中においてのすがる唯一の楽しみを壊されたことに対する怒りであって、そもそも根本的に「アイドルを応援する」ことの意味をはき違えている所謂輩であり、「アイドルとは何ぞや?」を理解し損ねているだけに過ぎない。
5年、10年と続けてボクらヲタらに生きがいを与えてね!
いつまでもいつまでも、無様なボクたちを慰め続けてね!
って発想だから、他の夢を持つアイドルに対して「ファンを馬鹿にしてない?」「入んなきゃよかったのに」という言葉が出てくるのだ。
与えてもらうだけ。
「推し」って言葉をただ使っているだけで芯を理解していない系。
遊び方を知らない系、ただ与えられるのに対して踊らされて文句垂れて、思考してない目で見てない系の典型。
「オーディション受けて(尾形が受かったことで)落ちた子たちが可哀想」
なんてコメントも多くあった…
もう一回言おうか?
尾形春水は、アイドルになったのだ。
倍率で競争しているのではない。
落ちた子は、尾形に敗れて落ちたのではない。
尾形と競い合って、尾形に負けて落ちたのではない。
アイドルとしての素質が無かったから落ちたのだ。
たとえ落ちたその子たった一人しかオーディションに参加していなくとも、「アイドルとしての素質」が無いと見られれば、落ちるのだよ。
「該当者なし」としてたったの1人すら合格者が出ないことも多々あるのが「モーニング娘。」のオーディションだ。
誰と競争しているのでもない、「アイドルとして光るものがあるか否か」「作り手たちのイマジネーションを刺激するようなオーラやパワーを発しているか?」
常に個々で持っているか否かでしかない。
尾形が居ようと居なかろうと、落ちる者は何だって何百回でも落ちるのだよ。
持っていないんだから…
では、「道重さゆみ」とは何だったのか?
道重さゆみのオーディション合宿時の歌唱シーン。
ワイプに映る心優しいこんこんこと「紺野あさ美」と、「吉澤ひとみ」、道重のあまりの歌の下手さに思わず笑ってしまった場面。
それはそれは凄まじい下手さ加減に、笑いを堪えることなどできやしない。
日曜日の朝、まだモーニング娘。が国民的なアイドルグループであった時代のその時期に、多くの子供たちや世間一般の人々が観ているであろう日曜日の朝に、この映像を流している。
この子が合格したの…?
そう、彼女は合格したのだ。
この下手さで、合格してんの?
世間の声は、それでいい。
1万4000人の中から選ばれた子なの?これが?
そう、1万3997人が、コレが如きに敗れ去っているのだよ。
この恐るべき歌の下手さ加減を以って、選ぶ者が
「ダメダメ、こんなものはダメだ、はい不合格~」
って、世間の声と同様の目で、見ているわけがない。
選ぶ者は、オタク気質なオタク心を以って、上っ面ではない深い深い内面世界に探りを入れて見抜いていく。
世間一般の見る目で彼女を見て、こんなものは不合格だろwww
って、音痴の道重をとっとと追い返していては、「道重さゆみが紡ぎ出す後の伝説」はもちろん生まれ出なかったし、あの時期にぶち当たる「どん底期」からの、「再浮上」という時代の流れを汲んだあの時期だけしかできない大きな物語も、生まれ出ることはなかった。
この未来を描くためには、いったいどんな少女を選んだら良いのだろう?
「オーディション受けて(道重が受かったことで)落ちた子たちが可哀想」
そう思うだろうか?
もう一回言おうか?
やめとく?
多くの馬鹿どもは、「道重は最後までやり切ったのだから、尾形とは違う」
と安易にそこへ飛びつく。
しかし大切なことは、「ゴール」ではないということだ。
あの日の道重は「つんく♂P」に見出されて、しっかりと彼の心と目と手の中で厳しく、そして温かく包まれてアイドルとして成長することができた。この点は非常に意味するモノが大きい。
もう一点は、モーニング娘。のパフォーマンス形態が今のような「極端にアーティストに寄ったキレッキレのダンス路線・ガチ感」ではなかったこと。これはこれで、これも大きい。道重がいた時代は、ひょっこりひょうたん島を歌い踊っていた時代だ。
はたして、今のモーニング娘。の中に、「アイドルとしての素質あり!」として見抜かれ加入した中学一年生のあの日の道重さゆみが、今のプロ志向のガチ感パフォーマンスに、どれだけついていけるだろうか?立ち位置はどこになれるのだろうか?
まして、お父さんのように優しい愛で接してくれる「つんく♂元P」はもういない。(モーニング娘。に関わらないという意味で)
吉澤ひとみがかつてテレビ番組の中でこう述べた。
「あたしたちメンバーはみんな、一回は絶対つんく♂さんにやられちゃってる」
やられちゃってる = 女の子として彼に心奪われちゃた
やましい意味はまるでなく、純粋に、優しく愛を以って接してくれていた証でもある。
蚊帳の外のハゲ散らかしたヲタらが妄想であーだこーだと言うのではない
まさに間近で接していたメンバーの言葉である。
そこでアイドル達にとって、モーニング娘。の生みの親であるつんく♂元Pがどれほどメンバーたちに影響を与える存在だったか…
そんな彼がいない、今のモーニング娘。において、「道重=尾形=ポンコツ」のようなしかしアイドルとして光るものがある逸材を、どう磨いて、どうやって光らせて、あげられるのだろう?
想像でしかないがあの日の道重さゆみを今のモーニング娘。に入れ込んで、彼女にいったい何が出来ようか…
もちろん、できる。
じっくり、ゆっくりとだが、仲間や先輩たちに支えられて、成長していける。
道重さゆみを語る際に大きな間違いをヲタらはおかしてしまうが、道重さゆみのゴールで魅せた「伝説」ではなくて、そこにたどり着くまでの過程「道のり」を存分に語り合わなければならない。
それは尾形であれ、途中離脱した久住小春であれ、無念の離脱の光井愛花であれ、まだまだやれたであろう気力漲る中で不本意な離脱をせざるを得なかったジュンジュン・リンリン、亀井絵里だって、皆同じ。
ゴールを以って判断するから「お前らヲタらみる目ないなwww」と蔑まれて笑われるのだ。
尾形春水、彼女の活動してきた3年半は、決して手を抜いていなかった。
全力だった。
見る目のあるヲタたちはちゃんとみていた。
存分に楽しんでいた。
この辺が、AKB勢とは一味違ったハロヲタの良いところかもしれない。
ダメなものはダメと、もちろん言うけれど、
良かったこと、素晴らしかったこと、努力した跡、成長した跡、
ちゃんとそこをも網羅して述べてくれる人たちに応援されている
というのが、ブログのコメント以外の各種サイトからでも伝わること。