ポスト安室奈美恵は不在のままで終わるのか…
全国☆か所のライブハウスで生バンドライブ決定!
下着姿の写真集にも挑戦して注目を浴びている!!
この人か…
須藤凛々花のくだりで初めてライトなタッチでAKBなるものに触れたけど、別段興味を魅かれたわけではなかった。
確かに「なんやねん?総選挙って?」って思ってそれなりにネット上に転がってるしょ~もない記事やデータを眺めて楽しんではいたものの、結局は「須藤凛々花の裏切りに怒れるヲタら」の無様な姿を高みの見物して楽しむ方に傾いていた…
で、たぶん9月オンエアだったと思う…
「げっ!?これ(こんな美人)がAKBっ!?」
って衝撃を受けた。
今までハロプロ勢のバラエティを楽しんでいた身としては、ハロプロアイドル達とアイドル卒業後の身の変わりようを知っていたので、これ(板野友美)が元アイドルか…って衝撃を受けた。
どこぞの著名人が
「AKBは整理のにおいがするから嫌いだ、ハロプロアイドルが断然好き!」
と発言したとかしないとかでネット上を賑わせたようだがそのカウンターとしてあえて言うと
「ハロプロアイドル達は巨星された悲壮感漂う哀れな女子」
だと見始めの初期からそんな雰囲気漂っているな~とずっと感じていたことなので、AKBのオンナのにおいプンプン漂わすその魅力は、個人的には良しとなった。
別にエロ目線で見たいとかではない…
アイドルって清純で~
って、それは気色の悪い現代のヲタらが勝手に決めつけていることで、実際、日本の昭和のある種アイドル歌手の発祥期のアイドル達は、「実は普通に恋愛していた」話は有名で山とある。
「恋愛はしません!」
ってもちろん言ってたけど、ちゃんと恋愛してた。
芸人土田や岡村が言う、当時のアイドルに魅かれた元ファン現芸人らが
「恋愛しませんって言ってたけど、みんなしてたんだよ。」
「だから『あたしは恋愛してません』って(現代の)アイドルが言っても絶対信じない!」
だからよく「アイドルは清純で純潔でなければならない。それがプロとして当たり前」
ってヲタらが言って、「だれだれとかだれだれとか…」
って昭和の有名なアイドルの名前を持ち出すんだけど残念ながらみんな恋愛してたんだよ…
だからそれを真に受けて北朝鮮並みの厳格な体制下でガチで恋愛禁止を実行している虚なる星屑たちと、「禁止とは言わないけどまあいいとは言わないけどゴニョゴニョ。。。」って濁してる整理集とで、人間たる女子・女性としての見栄え・成長の仕上がりが面白いように違っている…
…
こんなくだりを女性が一目読みすればあっけなく自分もキモヲタ扱いされて虫けら化しまう…
しかしそうやって臭いものにフタするように済まして良いワケはない大切なことが、ここには大いに隠されている。
ダウンタウンなうでの板野の発言(アイドル時代の恋愛禁止について)
「触れる恋愛はダメなんですよ。」
「目で恋するのはいいんです。」
だから本当に早期枯木にならなくて良かったね…って。
「目で恋する」ことを彼女はちゃんとやっていたのだ。
目や肌や髪や唇や心に、少ないがしかしちゃ~んと栄養分を送り込んでいたのだ。
女子として、一人の女性として、大事な物を全てみすみす失い逃すことを、彼女は良しとせずにしがみついていた。
板野友美はある種物静かな闘志燃やす熱血タイプで秋元才加にも負けず劣らずの「隠れ熱血漢」なところがある。
だからいわゆる世間一般で言うところの「恋愛」を、彼女はやはり自制していた。ルールとして捉えて守っていた。
それは別に応援してくれるファンのため、とかではなくて、ルールを破るダサさ、守れない無様さに対する抵抗として、あるいは同じルールを共有してきちんと守る仲間たちへの律儀な気持ちで、そこと戦った。
でも「目で恋する」という抜け道を見つけて彼女はそれを実行し、枯木にならずに実り色付いた。
今書き途中の「なぜアイドルは恋愛しなければならないのかの7つの理由」のいくつかと被ってくるのだが、少し前からちょうど田野ちゃんがなんやかやとあったようだが、「恋愛経験のない女優なんて無能でしかない」からこそ、彼女は恋愛しなければならない。
彼女はアイドルじゃなくて女優なのだから恋愛していて当然なのだ。
恋愛経験のないダサさ、みじめさ、未経験という悲壮感、哀れさ、他の経験豊富な女優たちに気後れし押され負けする、「負け感」漂させて何を演じることが出来ようか?張り合えるわけもない、相手にもされない。対等に渡り合うために必要なこと。
※ヲタら恒例の「だったらAKBやめろ」は残念ながら通用しない。北朝鮮のプロジェクトでなら容易に通用するその言葉も、愛あるカッコいいブタ野郎という名の大きな盾が彼女を守る。
恋愛に限らず様々な経験を通して人間力を高めて成長し、女優として、歌手として、「表現するプロ」となれる。
未熟な少女が、経験豊富な世間の猛者ら相手に通用する何が表現できよう?
未完の雑魚、通称「ヲタら」相手に通用しても、外へ向けてまるで通用しないのは、そういった「人間としての成長度合い」に秘密が隠されているのだ。
板野友美は述べたようにその熱血漢なる性格で所謂恋愛自重に徹した思われるが、目で恋することで他のアイドル勢のように拒して星化するのを回避した。
だから偉いもんで、彼女のソロ楽曲のPVを、音を消して映像だけ観ると、非常に魅力的に映えていて他のアーティスト勢に見劣りしていない風格・オーラ、できてる感・負けてない感がきちんと漂っている。
「愛がどうだ恋がどうだ」
ましてそれを上から目線で歌ったり色っぽく演じるのであれば、未熟な少女がそれをやろうものなら気色悪さ爆発でしかない。
板野友美には、経験豊富なプロたちおよび作品の世界に見下されない劣らない立派な風格、大人の色気、オーラを以ってしっかりと表現できている。
ダウンタウンなうにて、それを初対面でありながら瞬時に察して見抜いた俳優坂上忍は
「ガッツリ恋愛捧げた恋人いたでしょう?」
「…はい(笑)」
なんて会話を成立させた。
ヲタらと握手しているだけでは大人になれない、いいオンナになんてなれるはずもない、ということだ。
それとは別に、音を消して映像だけ観ると…
と、述べた…。
安室奈美恵に似ていることを一切アピールせずにやってきたことは大正解だし、当たり前っちゃぁ当たり前だ。相手は天高い格上の偉人なのだから、身の丈に合わない比較に自ら持ち込むことは許されない。
しかし大切なことは、彼女達側からそれを発信せずとも、世間の声から自然と「ポスト安室奈美恵」となる展開だってできたはずで、まるでそんな気配すらないことが、個人的には寂しくもある。
別に「安室奈美恵云々、似てるからど~だ」とかではないが、そーゆー展開が起こることに誰もが面白みを見出してしまうし、そもそも芸能界ってそーゆー場所でもある。
軌跡の合致、奇跡の交錯。
いいともフィナーレでの第三世代の交差、それは板野友美と安室奈美恵の非でいて似たる可能性。
内々でポストまゆゆだ大島優子だやってもダサい。気色の悪い儀式でしかない。
世間に認められて自然と声が上がってくる「ポスト安室奈美恵」が、板野友美であったらどれほど楽し気に音楽業界を盛り上げたことだろう…
あの日あの場面、あの場所に、AKBグループとして初めてのソロ出場!
として、あの場にいるだけでいい。
変な絡みが無いのはもちろんだ。
でも、後の伝説として、「板野友美、あの日出てたんだよな~…」って、後の語り草になる点でも必須だった…。
そのチャンスも二度と無い。
結局これで何が言いたいかって、板野友美の「魅せるべき外見・風格・オーラ」は抜群だった。
そこに問題はない。足りて十二分に足る魅力。
しかし彼女に足りなかった最も重要なものは、「魅せるべき頭」が足りなかった。
例えば一番わかりやすいこの場面(板野友美AKB48卒業直前期のめちゃイケ期末試験)
女芸人キンタローからの幾多のアプローチを最後まで無視し続けて無言で終了してしまった…
「スタッフ~、メリケンサック持ってきて~」
でもいい。
それを渡して
「指原、…やれ!」
でもいい。
握ったペンを見せてキンタローに直接
「キンタマ突くぞ?」
だっていい。
ダーツの矢に見立てて投げつけてやってもいい。
投げつけたそれが小嶋に直撃するならなお良い。
むしろ小嶋を狙って投げつけてやれ
岡村先生、新婚の矢部、アホの浜口、才能もちの芸人が3人もついているのだから。
何言ったっていいんだよ…
まして岡村先生はこの期末試験企画の時はアドレナリン出まくってゾーンに入ってるからバッチリ面白く処理してくれる。
とりあえずは何だっていいのに…
でも彼女は…
(私はクールなキャラクター。)
何もしないでいくという方向性が思考を止めてユーモアの試行を体現しない。
楽な方、楽な方でやっては鍛えられやしない…
歌と、バラエティのこれと、何の関係があんねん?
と、思うだろう…?
彼女は作詞家でもなければ作曲家でもない。
与えられた曲を歌うだけしか能がない。
そしてその与えられた歌を、耳で聴き、頭の中に描き、心を込めて、声にして表現する。
そのためには、その曲を聴いて聴いて聴いて、解釈を繰り返して咀嚼して、どうやって表現しよう、どうやって伝えよう、どうしたらより良くなるだろう、どう歌えば魅力的になるだろう、どうやったら板野友美が歌う意義を表現できるのだろうと、想像を絶する多大な精神エネルギーと時間を費やして「たかが数分程度のいち作品を、アーティスティックなものへと昇華させる」必要がある。
素人のカラオケ特集じゃないんだから、ただ歌えばいいってものではない。
それが、歌うしか能のないだがしかしプロの歌手、というもののあるべき姿だ。
安室奈美恵は、ヘイヘイヘイという歌番組の、絶頂期のダウンタウン、絶頂期の松本人志、絶頂期の浜田雅功を上回る「頭」を以って二人の才能ある芸人を凌駕していた。まだ十代、二十代の女子が、才能あるオッサン2人を弄ぶほどのユーモアと頭を持っていたのだ。
松任谷由実だって宇多田ヒカルだって陽気なおばさんお姐さんではない。ユーモアを繰り出す大事なものをちゃんと持っている。
それに、ユーモアを繰り出せるって、愛嬌にもなる。観る者の心を引き付ける。愛される。
小柳ゆきを持ち出して比較すれば容易に理解もできよう。
歌手にとって、真の最たる才能とは歌声ではなくて、ユーモアを持する頭である。
堅物頭の馬鹿が歌う歌ほど退屈なものも無い。
音を消して映像だけ観ると…
天は二物を与えない…
本当に惜しかった、歌手として、見栄えだけは逸材だった。
バラエティでのしゃべりを受け流したツケは、ちゃんと回ってきていたということだ。
真に能ある制作陣の目に留まらなかったって、ことだよこれじゃ…。